京鍋料理 / 紙鍋
鍋奉行もびっくり紙のなべ
寒さが一段と身に滲みてくる朝夕だ。湯気が恋しくなり、つい鍋物に気が走る。
京都で鍋物というと「湯豆腐」が真っ先にあげられる。
どんな鍋物にも豆腐はつきものであるが、一切の具を排し豆腐そのものを味わう。
昆布出汁で温まった、柔らかでとろける様な豆腐が、薬味の効いたタレと相まって、独特の淡い味わいを醸し出す。
門前の湯豆腐屋さんで廃れた話を聞くことがない。
しかし、繁華街などでは、湯豆腐屋さんより水炊き屋さんの方が多く見受けられる。
豆腐とふんだんな京野菜と鶏肉を使うという具合だ。
どこまでが湯豆腐で、どこからが水炊きなのかと考えてしまう。
豚やカワハギもなくはないが、やはり鶏肉が主流だ。
鳥鍋を扱う「鳥○○」という暖簾の多いことは、街を歩けばすぐわかる。
鍋は平安の頃より食されていた訳ではない。庶民に普及したのは江戸時代の後期からである。
豆腐は奈良時代に渡来しているが、公家や僧侶のみが食し、庶民が口にしたのは室町時代と言われている。そして、鍋を用い湯豆腐として食するには更に後の時代である。
つまり、炭火が熱源と照明源を兼ねていた頃には思い浮かばなかったのであろう。
寺院などの限られたところでは、蜜ろう蝋燭が古くから使われていたものの、非常に高価であった。室町時代には和ロウソクが出始めたが、江戸時代までは一般にはまだまだ贅沢なもので、使用できる者達は限られていた。
江戸時代になるとロウソクが明かりとして用いられ、炭火は煮炊き用になった。それから鍋物の歴史が始まったのである。数えてみると200年程度の歴史しかないのである。
そして、古来より鍋は炊事具であり、神聖なものとされていたと聞く。
鍋の原形「鼎(かなえ)」を伝えた中国では、鼎を王室の礼器として使っていたほどである。
その鍋を食卓にあげ、直箸で、身分の上下を問わず囲むとは、汚らしくも恥ずべきことなのである。
つまり、江戸後期に普及しだした鍋物は、文化が変わる画期的な出来事であったのだ。
鍋の変遷を追っているようなお店がある。
「紙鍋」を扱う「きんなべ(大和大路四条下る075-531-4188)」さんだ。
会席膳にセットされている小鍋である。コンロの上に奉書紙を使って煮るのを思い浮かべて貰えば良い。
ここの名物「紙鍋」は、ガスコンロの上に金網をかけ、秘伝と言われる和紙をすっぽりと被せる。
その紙の真ん中に、3日炊きこんだ鶏ガラスープをたっぷりと注ぐ。
火加減はお店の方に任せたほうが良いだろう。
この秘伝の和紙が灰汁(アク)や余分な脂を吸ってくれる按配で、地鶏と言うには驚くほど柔らかく、しかも地鶏の旨みが程よく残っているのだ。
盛られた具財の白菜、春菊、えのき、椎茸、京湯葉、手作り豆腐を入れれば、後はじっくりと炊き込む。
明治に開業した初代が編み出した「紙鍋」の紙は、特注の燃えない紙ではないらしい。
燃えてしまう正真正銘の紙だというから不思議である。
鶏肉のすき焼きを金鍋ではじめたが、その後金の回収が行われたらしい。
「土鍋で水炊きでは、他所と同じで芸がない」と。
考えに考え編み出した代物だという話だ。一度はご賞味あれ。
きんなべ
http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000108427.html
ろうそく (ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%9D%E3%81%8F
鍋歴史年表 (紀文)
http://www.kibun.co.jp/enter/nabe/n-rekisi_nenpyou.html