近場で紅葉狩
京の歴史を見ていたモミジを見る
京都人として寛(くつろ)げる紅葉狩穴場スポットが好評で、観光と一線を画した紅葉狩の案内を依頼された。
練りに練ってピックアップしたものを、各種観光情報誌と照らし、紹介されているものがあれば消去していった。
残った所から交通渋滞や混雑状況を考慮し、独断決定したところが、梨木神社(なしのきじんじゃ)・盧山寺(ろさんじ)・上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)・相国寺(しょうこくじ) ・建勲神社(けんくんじんじゃ)と組んだコースになった。
京都人にとっては馴染み深いところばかりだ。しかも、そのモミジの色なす妙技は勝らずとも劣らぬものである。
京都御苑北東に位置する清和院御門の横、寺町通に面する梨木神社は、三条家の旧邸跡地に、明治18年に創建された。三条実美(さねとみ)父子を祀る神社である。
境内に湧き出る「染井の水」は、「醒ヶ井の水」「県井の水」とともに「京都三名水の一つ」として知られており、唯一今も湧き出ている。
老舗京料理の料理人さんや近所の人がポリバケツで汲みに来ている姿を日々見かける。
小ぶりの社殿の屋根に、巧みに色づいた紅葉の枝達が見事に迫り、キャンバスに描いているようだ。
その寺町通を挟んで東側にあるのが、紫式部邸宅跡の盧山寺(上京区寺町通広小路上ル075-231-0355)である。
紫式部は幼少の頃よりこの地に住まい成長し、「源氏物語」「紫式部日
記」などのほとんどの作品を、ここで執筆している。境内には紫式部に因んだ白砂と苔の美しい「源氏庭」がある。
その同じ地に、織田信長の焼き打ちを免れ船岡山より移築されたのが盧山寺である。
その盧山寺は、節分行事「鬼法楽」の赤・青・黒の鬼が踊りまわる姿が広く知られ、皇室直属の御黒戸四ヶ院の中で唯一残存する摂家門跡であることでも著名である。
摂関家の守護観音の化身と言われたのが元三大師ゆかりの「角大師(つのだいし)」であるが、盧山寺にある「角大師」のお札は、天皇自らがお刷りになり人々に授けられた、日本ではじめてのお札と言われている。
目立たない小さな境内であるが、黄葉のイチョウと紅葉の楓とのコントラストが際立った場所である。
次に、その寺町通を北上して今出川通に出て、左に行くと同志社女子大学の校門である。
更に御所今出川御門を北上すると、否応なく「相国寺」に行き当たる。
記すまでもないが、金閣寺や銀閣寺を山外塔頭とする臨済宗相国寺派の本山である。
足利義満の創建となる足利将軍家の菩提寺であり、室町幕府の盛衰とともに歴史に名を馳せた。
山外塔頭への観光はされても、本山相国寺に足を運ばれる方は意外に少ないようだ。
法堂の南に広がる松林にはモミジが混じり、松の緑とのコントラストが鮮やかで一見に値する。
もし混雑しているようであれば、相国寺の西側の道路を北に、小さな辻を四つ進むとよい。
そこは鞍馬口の東辺りとなり、「上御霊神社」がある。
京都の町を焼き尽くしたといわれる「応仁の乱発祥の地」で、西軍の陣地となった所として知られている。
平安時代の御霊信仰の中心となり、京都の守護神として崇敬を集めてきた最も古い神社の一つである。祭神は桓武天皇をはじめ、平安遷都で非業の死を遂げた早良親王(さわらしんのう)を筆頭に、政治の犠牲者として無念の死を遂げた八人を祀る「八所御霊」となっている。
「上御霊さん」と親しまれる社殿を取り囲む紅葉と銀杏の怪しげな競演は、知らぬ応仁の乱世を想い浮かべてしまう。
このような歴史をつぶさに見てきた紅葉狩はいかがだろうか。
更に、時間が許せば、ここから下鴨神社へ向かわれるのも良い。