京の秋祭 / ずいき祭
西ノ京の京野菜御輿といえる
春なら七草粥で無病息災を祝うわけだが、秋の七草は食することができない。
紅葉にはまだまだ間があるので、秋の七草を眺めて楽しんではいるが、10月の声を聞くと、そろそろ七草の花も盛りを過ぎてくる。
木々になる秋の味覚が気になるが、如何に過ごそうかと暦を捲ると、秋祭りが酣である。
早速に、氏子町の西ノ京へ出向き、「ずいき御輿」の巡行を見物した。
「ずいき祭」は、京都に秋の訪れを告げる、北野天満宮の五穀豊穣に感謝する農業祭である。(10/1〜10/5)
ずいき祭の還幸祭は別名「おいでまつり」と言われている。 他の祭りでは「神幸祭をおいで、還幸祭をおかえり」と呼ぶのだが、ずいき祭では還幸祭を「おいでまつり」と呼ぶのである。
尋ねてみると、「大宰府で御隠れになった菅原道真公の御霊が、神様として初めて北野の地においでになるからや」、という。
つまり、御鎮座の由来を再現するという意味から、そう呼ばれているようだ。
神事の還幸祭の神輿と氏子のずいき御輿は、お旅所からそれぞれに別順路を巡行し、上七軒街を経て北野さんの東門へと向かう。そして、神輿は北野さんに上り、ずいき御輿はお旅所に還るのである。
氏子の手で作られるずいき御輿は、まさに京野菜御輿とも呼べる姿で確かに一見の価値がある。
まず、ずいき(里芋の茎)で御輿の屋根が葺かれている。御輿の各部はすき間もなく、赤ナス、南瓜、かしら芋、赤唐辛子などの京の穀物、野菜で埋め尽くされ、おまけに乾物類もある。湯葉、麩などだ。乾燥した金盞花(きんせんか)の花も四隅にびっしりと取り付けられていた。
氏子地域である「西の京」は、その昔京野菜の畑地であった。
かつて北野祭(8/4)にお供えとして奉納されていた野菜が、江戸時代慶長年間に、その豊作の感謝を一基の御輿として作り飾られた。これに端を発しずいき御輿が作られ、氏子の手で秋のずいき祭が行われるようになったらしい。
京都三大祭の一つの「時代祭」も10月22日に控えているが、この秋観光用の祭とは二味も三味も違った、京の秋の祭を探訪してもらいたい。これぞ京都人の祭といえるものが目白押しである。
その祭りには、その地域に住まう者の心と熱が感じ取れるからだ。
例えば、
10/1〜10/9御香宮神社(京都市伏見区)の神幸祭 /
862年に境内から湧き出た香りよい水に、清和天皇が「御香宮」と名づけられました。この清泉は「名水百選」に認定されている。
10/10
広隆寺(京都市右京区太秦)の牛祭 /京都三大奇祭のひとつである。22日の鞍馬の火祭と並び、この月は二つの奇祭に出逢える。(奇祭牛祭とはいえ数年来牛の姿はなくなっている。) 広隆寺は聖徳太子建立七大寺のひとつで、京都最古の寺院である。
あとはお調べいただきたい。
ところで、祭帰りの手土産に、「粟餅所(あわもちどころ)・澤屋(北野天満宮前西入南側)」の粟餅を選んだ。
粟餅はきなことこしあんの二味で、やはり出来たての味わいは格別でした。
粟(あわ)のぷちぷちっとした歯ざわりもさることながら、搗き立てのお餅なので心地よい柔らかさである。
因みに、「澤屋」は創業320年の老舗で、当代森藤與八郎さんは12代目である。
1630年頃発刊の「毛吹草」には、山城名物は「北野粟餅」として諸国に紹介されているという。ご賞味あるまいか。
栗餅ではない、粟餅である。
北野天満宮
http://kitanotenmangu.or.jp/
和菓子に見る京/粟餅澤屋(京都新聞社)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/wagashi/w-06.html
太秦牛祭
(国際日本文化研究センター)
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7/km_01_301_f1.html