洛中洛外京桜図 一見さんの桜に通の桜 編 その四
京の桜見をふりかえれば
黄金週間が目前となると、もう桜の話も時季はずれとなるが。
ここいらで、今年の桜を駆け足で振り返ってみよう。
2月20日東福寺の「桃桜」がチラホラ咲きする頃から京の桜は動き出した。
丁度その頃は各地の紅梅が見頃の時期で、紅梅に混じり桜の蕾が殻割りし始めた。
殻割りすると開花は間近となる。
3月弥生になると、8日に平野神社の「河津桜」が開花第一声をあげた。
南禅寺、哲学の道などはまだまだ堅い。10日を過ぎると、車折神社の「寒緋桜」、宇多野病院の「椿寒桜」、知恩寺の「彼岸桜」、枳殻(きこく)邸やだん王法林寺の「早咲き桜」が今か今かと膨らんでいた。
20日の声を聞く頃には、法輪寺の早咲き桜が開花し、末近くには、これらの桜が見頃から満開となった。京都各所の「染井吉野」の蕾が殻割し、膨らみはじめるのは、例年このあたりからである。他方この頃の「河津桜」は「葉桜」の体をなしている。
早咲きで是非記しておきたいのは、頂法寺六角堂の「御幸桜」である。
「京のへそ石」の右手にある枝垂桜の古木だ。長く立派な枝振りに衝立が施され、六角形の傘のように広がっている。996年、花山院前内大臣がこの桜を詠んだ時より「御幸桜」と呼ばれている。
六角堂前の「じすり柳(六角柳)」の若葉の緑と並びあざやかなコントラストを見せてくれた。
京都で「花の寺」といえば、挙げれば限りがないが、「桜の寺」と呼ばれるのも数多い。数ある中で、小生は「伏見深草の墨染寺(ぼくせんじ)」を桜の寺として特記しておきたい。
874年清和天皇の勅創と伝わる。ここの桜は「墨染桜」だ。
墨染とは墨汁で染めたような黒色という意味で、喪の色のことである。花は小さく細めの白い一重である。
堀川左大臣藤原基経の死を悲しんだ歌人で、臣下の上野峯雄が歌を献じたところ、その桜が薄墨色になったとの伝説により「墨染桜寺」と名付けられ、豊臣秀吉により再興されたと聞く。
眺めていると、春爛漫の対極にあるはかなさがしんみりと伝わってくる。
「深草の 野辺の桜し 心有らば 今年ばかりは 墨染に咲け」
(古今集)
さて、観桜の期間に数度訪れ楽しめたのは平野神社であるが、夜桜花見酒に溺れてしまい、「御衣黄桜(ぎょいこうさくら)」や「平野妹背桜(ひらのいもせさくら)」など10種もある珍種を見落とされてはいないだろうか。
「東の祇園 西の平野」と京都人の桜見には馴染みの所であるが、花びらが黄緑色で紅と緑の線を引く桜(御衣黄桜)があることなど知る人は少ない。
御衣黄は平安時代の萌黄色(もえぎいろ)の衣に似たところから命名されている数少ない桜である。
京では「枝垂桜」が桜であると思われている。また、枝垂桜には、その由縁にあやかった「名」をつけるのが好まれている。
そして「名」に恥じない姿を保つのに並々ならぬ「守」が行われる。
京都人の市民性がよく現れている例のひとつと言える。
来春の花見計画の参考にされてはいかがだろう。
御幸桜・六角堂
http://www.tcn.zaq.ne.jp/akacs501/tabi/18rokkakudou/18rokkakudou.html
http://www.ikenobo.jp/japanese/kawaraban/news/sakura.htm
墨染桜寺
http://homepage2.nifty.com/yuuri/haruka/29sumizome.html
http://mukujun.web.infoseek.co.jp/gallery69ayaya.html
御衣黄桜・六孫王神社 (見たままに切り取る京都)
http://www.wisiwig-kyoto.com/directory/2005/04/post_189.html
桜珍種十品種の紹介 (平野神社)
http://www.geocities.jp/daa01397/sakura.htm
楊谷寺(NTV魚住りえの心の都日記)
http://www.ntv.co.jp/kyoto/oa/20030510/naiyou.html