小豆粥
お粥さんはええねんで
これで小正月があける。
「七草粥」と「鏡びらき」と「小豆粥」を済ませてのことだ。
幼子の頃は、元旦から小正月の15日まで、数日毎に楽しみがあった。
三が日のお雑煮とおせち料理、7日に七草粥、11日の鏡びらきの後の善哉、15日には小豆粥と、母はくる年ごとに用意してくれていた。
いつ頃からであろうか、我が家もこの習慣が薄れてきている。これを都会化、現代化と喜んではいられない。そう思い立ち、休日をノスタルジーに浸りながら楽しんだ。
七草粥をいただく1月7日は、五節句の一つ「人日(じんじつ)の節句」である。年の始めの「人の日」に吉凶を占い、今年起こるかもしれない邪気を祓い無事を祈願し、春の七草をいれた粥を食するのである。
そもそも、七草粥の発祥は、宮中の内膳司(天皇の食事を司るところ)」が正月初子の日に、万病を防ぐとされる七種(ななくさ)の新菜を吸い物として献上していたことに由来し、その後正月七日の七草粥の風習になったと聞く。
急遽の事で七草を揃えられず、三つ葉、芹、大根葉を七種に見立て、若菜の粥で朝食をとった。
暫くして、昼食とお三時の準備をすることになり、床の間に飾った「鏡餅」を下げることにした。
「鏡開き」と呼ぶからには、包丁で切ったりするわけにはいかない。
木槌で叩き伺い、手で開くことで、幸運を開き招きこむ様に執り行うのだ。
昨年への感謝と本年の幸福祈願を込め、神様への仲立として「お供え」し、「お飾り」したものが「鏡餅」だ。
その「お下がり」として『厄除招福』を分け与えて戴くという気持だ。
決して「鏡切り」とか「鏡割り」などと、京都では呼ばない。
この日は地域によってまちまちだが、京都の旧家では4日、一般的には11日が定着している。
この11日という日は、元は20日だったが、徳川三代将軍家光の忌日と重なったため、幕府の行事として繰り上げられ、それ以降一般慣習化している。
ともあれ、「お鏡さん」をいただく小生は、「お善哉」と「焼餅」で賞味した。
そして、前夜に取り外した「注連飾り」の一部を火種にし、夕食は「小豆粥」を炊くことに決めたのである。
これで、旧正月(小正月)までの小生宅の歳時記も、暦どおりに終えたことになる。久々にハレの日の感激を取り戻した気がした。
さて、平安時代から続く小正月の習わしである「小豆粥」は以外に知られていない。神社、禅寺や市内の旧家では今も受け継がれているのだが。
妙心寺東林院(JR嵯峨野線花園駅)では法要「小豆粥散飯式」が行われ、自由に参列もでき、予約なしに精進料理「小豆粥」がいただける。
また、上賀茂神社では「御粥神事」が執り行われ、下鴨神社の「御粥祭」は紅白に並ぶ小豆粥・大豆粥が備えられ、北野さんも小豆粥が神饌となっている。
旧正月に小豆粥をいただく古来よりの習わしは、新年の迎え方の探求に意味を持つものであろうと思う。 何でもテレビが全ての教科書という時代は終わり、ネットでググれば先人達の知恵にであえる。習わしは、改めて関心を寄せてもらいたい文化であると同時に、伝えていかなければならない文化だと確信している。
「お粥(かい)さんはええねんで、『京の白粥、大和の茶粥。朝粥昼飛び夕雑炊。』『せり、なずな、ごぎょう、はこべら・・・・。』これで病気にならへん」と、
呟きながら、河原で若菜を摘む祖母の姿が思い出される。
七草粥の豆知識・レシピ (キッコーマン)
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/college/10shoga/nanakusa.html
大本山妙心寺 臨済宗
妙心寺派宗務本所(右京区花園妙心寺町)
http://www.myoshinji.or.jp/k/root4/35.html
御粥神事 (上賀茂神社)
http://www.kamigamojinja.jp/saiten_winter.html
御粥祭 (下鴨神社)
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/rituals/