春季特別展 大田垣 蓮月尼展
【前期】3月8日(土)~3月30日(日)【後期】4月1日(火)~4月20日(日)
※前期・後期で幾つかの陳列替があります。
野村美術館では2014年春季特別展(前半)として、「あめんぼコレクション」による19世紀京都の芸術と文学を代表する歌人、大田垣蓮月尼(1791~1875)の作品展が行われます。
彼女が作った全ての陶磁器には、自身の和歌が独特の書体で描かれ、あるいは刻まれています。彼女の歌は伝統的な慣習に則りながらも、個性的で、放浪の尼であった自らの経験が基になっています。100点を超す展示作品は蓮月と他の芸術家たち、富岡鉄斎、冷泉為恭、和田呉山などとのユニークな合作を含め、酒、煎茶、茶会のための絵画・書跡・陶磁器です。この展示は、京都では1984年以来となる本格的なものです。
大田垣蓮月 おおたがきれんげつ 寛政三~明治八(1791-1875) 俗名:誠(のぶ)
伊賀上野城代家老職、藤堂新七郎良聖(よしきよ)の庶子という。生後すぐ、京都知恩院の寺士、大田垣伴左衛門光古(みつひさ/てるひさ)の養女となる。少女期、但馬亀岡城に奥勤めとして奉公し、薙刀ほか諸芸を身につけた。文化四年(1807)、十七歳の時、大田垣家の養子望古(もちひさ)と結婚。一男二女をもうけたが、いずれも夭折した。夫の放蕩により、同十二年(1815)、離婚し、京都東山の知恩院のそばに住む。文政二年(1819)、二十九歳の時、大田垣家に入家した古肥(ひさとし)と再婚し、一女を得たが、四年後夫は病没。葬儀の後、養父と共に知恩院で剃髪し、蓮月を称す。二年後、七歳の娘を失い、さらに天保三年(1832)、四十二歳の時、養父を亡くす。その後は岡崎・粟田・大原・北白川などを転々とし、急須・茶碗などを焼いて生計を立てた。やがてその名は高まり、自作の和歌を書きつけた彼女の陶器は「蓮月焼」と呼ばれて人気を博するようになる。しかし自身は質素な生活を続け、飢饉の際には三十両を匿名で奉行所に喜捨したり、資財を投じて賀茂川の丸太町に橋を架けたりしたという。慶応三年(1867)秋、西賀茂の神光院の茶所に間借りして、境内の清掃と陶器制作に日を送り、明治八年(1875)十二月十日、八十五歳で逝去した。
和歌は上田秋成・香川景樹に学び、小沢蘆庵に私淑したという。穂井田忠友・橘曙覧(あけみ)・野村望東尼(もとに)ら歌人のほか、維新の志士とも交流があった。なお、のち画家として名を成す富岡鉄斎は、蓮月尼老年の侍童である。明治元年(1868)、『蓮月高畠式部二女和歌集』が出版され、同四年には近藤芳樹編の家集『海女の刈藻』が刊行された(新編国歌大観九などに所収)。
☆★☆★ 幽居の和歌と作品 ☆★☆★
■開催日時:2014/3/8~4/20 10:00~16:30
休館日/毎週月曜日
■開催場所:野村美術館
京都市左京区南禅寺下河原町61
■入 場 料:大人700円 高・大学生300円 小・中学生 200円
■お問合せ:075-751-0374
■U R L :http://www.nomura-museum.or.jp/