岸竹堂と今尾景年 明治の千總と京都画壇
京都画壇の画家の下絵に生まれた「刺繍絵画」は、海外輸出品として明治の日本を支えていたと聞く。
明治時代の日本は、先進諸外国から新しい技術を導入する為の外貨の獲得は大命題であった。
日本の輸出品の中心は蒔絵、金工、陶磁器、七宝などの工芸品であったことは知られるが、絹糸の刺繍で描かれた絵画作品も重要な輸出品であったことを知る人は少ない。
京都では西村總左衛門(千總)や飯田新七(高島屋)ら呉服商が中心となって輸出を行っていた。
それらの「刺繍絵画」の下絵は、岸竹堂、今尾景年、竹内栖鳳ら京都画壇の画家達の手により描かれていたのである。
絹糸による一針一針の刺繍の精緻さとその絹糸のもたらす輝きの質感は、たちまち欧米の王侯貴族達を虜にしたのである。
よい状態で現存する作品はごく僅かであるらしいが、千總ギャラリーで展示される。
西村総左衛門 【にしむら・そうざえもん】
・・・・幕末維新の変革により衰退していた京都の伝統染織の復興のため,明治6(1873)年ごろ,経済的に窮迫していた日本画家に友禅染の下絵製作を依頼することを計り,岸竹堂,今尾景年,菊池芳文らを説得して,江戸末期以来の陳腐に堕した図柄に本絵の新風を取り入れて大いに名声を博した。10年ごろに京都の染色技術者広瀬治助が化学染料と糊を混ぜて色糊を発明し,これに型紙を併用して捺染友禅が始まると,千総は12年の京都博覧会に加茂川友禅と称して出品し,金牌を受けている。これにより高級品の差友禅に対して大衆的な型友禅が一般消費層に迎えられ,友禅界は大いに活気を呈した。11年には天鵞絨友禅を開発し,大型の図柄を染めることも可能になり,屏風などの工芸美術品として国外向けにも盛んに製作された。26年シカゴ万国博に「近江八景図ビロード友禅壁掛」,33年パリ万国博に「雁来紅図友禅額」を出品,明治期の日本染織史の上に大きな足跡を残した。
(山邊知行/朝日日本歴史人物事典の解説より抜粋、引用)
千總ギャラリー
弘治元年(1555)年創業の京友禅の老舗・千總(ちそう)本社2階に設置されているギャラリー。
千總資料館に保管されている、江戸時代~昭和にかけての美術品、染織品、古文書などの膨大なコレクション・資料は約2万点。450年以上の歴史を物語るその所蔵品を、随時入れ替えて一般に公開しています。
展覧会も年に数回開催されているほか、千總のオリジナルグッズを扱うショップも併設。日によっては、実際に友禅染(型友禅)の技法を体験できるワークショップも開催されています。
■開催日時:2014/2/21~6/10 10:00~19:00
休館日/水曜日
■開催場所:千總ギャラリー
京都市中京区三条烏丸西入御倉町80番地 千總本社ビル2階
■入 場 料:無料
■お問合せ:075-211-2531 / SOHYA TAS 075-221-3133
■U R L :http://www.chiso.co.jp/