京都三大涅槃図は見なきゃ、あかんでしょ!
釈迦(しゃか)の命日に営まれる法要「涅槃会(ねはんえ)」に合わせ、
京都市東山区の東福寺と泉涌寺で、釈迦の亡くなる様子を描いた図の公開が行われます。
14、15、16日の3日間なので、是非お運びください。
左/猫のいる東福寺の大涅槃図(明兆画) 右/猫はいない泉涌寺の涅槃図
そして、京都市上京区の本法寺の長谷川等伯の佛涅槃図
(左) 公開は、3/14~4/15です。
等伯さんの涅槃図には猫もコリー犬も描かれています。
涅槃経に従い描かれていますが、絵師によって表現が変わっています。
涅槃に入るお釈迦さんと、その周囲で嘆き悲しんでいる動物たちとに、主体も客体もない。その涅槃の季節は物悲しい春の二月である。五十二種類にのぼる一切の生きとし生ける者たちが集まって、美しく輝く御釈迦さんの周囲を取り巻いている。頭は北向き足は南向きで、ごろんと横たわっているお釈迦さんの周りに、あっちこっちに数人ずつの者たちがへばりつき、また、天地をいっぱいにふさげている。
一休宗純(一三九四~一四八一)『狂雲集』
見たこともないであろう動物がどうして描けたのかと、驚きと不思議で、ついその動植物に目が行き話題にしますが、それはどうでもよいことなのでしょう。
涅槃=ニルバーナとは
「吹き消す」という意味で、煩悩・妄想がなくなったということ。
お釈迦さんの最後の説法は「汝自(みずか)らを灯(ともしび)とし、汝自(みずか)らをよりどころとせよ。法を灯とし、法をよりどころとせよ」
(これからは自分自身を灯・よりどころとして生きなさい。
私がこれまで説いた法(おしえ)をよりどころとして生きなさい)
我欲の塊の私たちには、そのよりどころとする自分
よく心が調えられた自分という灯火がありません。
せめて絵でも見なきゃあかんでしょ。
2500年も前から・・・生きること、人生の過ごし方を知ってらしたのに、
未だ真似ることのできない我々は何をしているのだろうか!