We Got Our MOJO Starting 1

今から30年前の1971年3月20日(土)
京都大学の西部講堂にて
第1回のMOJOがスタートする。

<<<--- you wanna know more? see left link(当時のポスター)  PYG(沢田研二と萩原健一など)、村八分(チャーボー・山口富士夫など)、内田裕也、フラワートラベリング・バンド、ミッキー・カーチス&SAMURAI、TOO MUCH、麻生レミ、かまやつひろし、小杉武久とタージ・マハール、成毛シゲル、角田ヒロ、柳ジョージ、井上尭之グループ、チャールス、ファーラ・アウト、モップス、ジプシー・ブラッド、頭脳警察、ルー&B29、カルメンマキ&エンジェルス、陳信輝&ORANGE、ウエスト・ロード・ブルースバンド、など多くのミュージシャンがMOJOにて熱いプレイを披露した。
〈MOJO WEST Opening Releaseより抜粋〉
 「MOJO WEST 」。去る4月25日、長らくムーブメントという実体のない存在として語られた名が今、姿を持った。
 木村英輝。彼は往年の、そして現在のMOJO WESTの中心にいる人物である。往年を知る者の言葉は、例えばそれが栄光に満ちたものであれ、笑い飛ばせる失敗であれ、悔やみきれない慚愧の念であれ、多分にノスタルジックな響きを持つ。これらのテキストは、オープニング・リリースと、オープニング・イベントを飾ったアーティストに向けた、いわばライブのライナー・ノートとも言えるものだ。その中にノスタルジックな響きを見る読者もおられるかもしれないが、止める術はない。「今どうして30年前のMOJOなのか」。木村氏自身、自問している。ただし、文中に出てくる「京大西部講堂」という言葉は、前号で既報の「京大西部講堂」と同じ場所である。リアルタイムで当時を観た目が語る、様々な歴史の断片が、これらのテキストには含まれている。当時の世界観、業界観。彼らアーティストが果たした役割。来るべき商業音楽へのプレディクト。歌うこと、奏でることに対するプリミティブな欲求。A級資料として、頭に叩き込むに値する断片が。
 数々の伏線が今、露わになった。21世紀のMOJOプロジェクトのスタッフたちが観た彼らは、単なるノスタルジーなのか、それはこれからの歴史が証明することになるのだろう。彼らを観て何を思うか。そしてこのテキストを読んで何を知るか。今はそれで構わないと思うのだ。

今どうして30年前のMOJOなのか
 ロックンローラーのカッコよさは究極のアマチュアリズムだ。感受性の強い不良少年。ちょっとしたことで壊れてしまいそうなピリピリのアート少年。こんな若者たちによって新しい時代の流行が始まったはずだった。"カワイ~イ""おもしろ~い"といって時間を昇華していく。今日の退屈へ、ちょっとでもいいから風穴をあけるきっかけがつくれたらと…。
 自然発生的に生まれた30年前のMOJOが表現したアマチュアリズムと興奮を原点にすることによって、21世紀のロックンロールは、何かがかかわればとOPENすることになった。21世紀のMOJOプロジェクトのスタッフたちは、30年前のMOJOを知らない、新しい世代である。彼らはつぎはぎのMOJOの資料とその話を聞いて、今はなくなった何かがMOJOにあると感じとったのである。今こそ必要なことを感じとったのである。決してMOJOの事象をただ受け継ごうとは思っていない。MOJOに内在するMINDを大切にしたいだけだ。
〈MOJO WEST Opening Releaseより抜粋〉

 MOJO WESTのルートをたどってゆくと日劇のウェスタンカーニバルにぶちあたる。平尾昌晃、山下敬二郎そしてミッキーカーチスのロッカビリーである。
 京大のキャンパスは治外法権である。そんな論理に守られて西部講堂でMOJO WESTがはじまった。渡辺プロダクションが中心になって仕掛けられた日劇ウェスタンカーニバルよりも政治や社会に疑問をもちテストのためのフォークソングなどを唄う岡林信康や西岡恭造がいた音楽舎の流れにMOJO WESTは近いと思われがちだった。
 「政治集会でもない宗教集会でもない芸術運動をやるでもない、そして経済活動をやるでもないが、それらを全て包括したロックムーブメントだ」これがMOJO WESTが掲げたコンセプトだった。
 特に政治運動がストイックになっていた頃であった。真面目に突っ込むほど見えなくなった。あれでは間違う、もっとカッコよくやらなァあかん。能書きはどうでもいいロックをカッコよくやれば全てが解決するのや。
 第一回目のMOJO WESTに沢田研二(ジュリー)、萩原健一(ショーケン)達、グループサウンドの精鋭だけで結成された「ピッグ」を招いたのは、反体制でも体制でもないどちらでもない。いい加減さにダイナミズムを感じたからだった。
 「キーやんはナベプロと組んでいる」「若者の味方を装ってるだけや」短絡的な批判が飛びかった。
 頭がいい奴だけが、集まったら碌でもない。センスのいい奴、感覚派のアンテナを馬鹿にしたらあかん。どんなに軽蔑されてもいい。カッコいい女の子、流行を追い感覚的に生きる女の子がたくさんMOJO WESTに来てくれないとあかん。

 ロッカビリーのスーパースター、ミッキーカーチスがロック・グループ「侍」のリーダーとしてMOJO WESTにやって来てくれた。超人気女性ボーカリスト、有名ファッションモデルとの浮名、レーサーの走り、カンヌ映画祭グランプリ、綺羅星が輝く芸能界の王道を歩んできたミッキーカーチスが薄汚れた西部講堂で結婚式を挙げてくれたのだ。立会人は内田裕也(ユウヤ)さんだった。
 ジェーン・ホンダがベトナム反戦を訴えてやってくるよりも、ジョンバエズの反戦歌が流れてくるよりもMOJO WESTのやりたかった事はもっと自由で、こだわりのないカッコよさだった。
 久し振りにミッキーさんと会って、こんなことを話すと「キーやんは先生やったから理屈っぽいなァ」と笑いながら音出しを始めた。
〈text by Kimura Hideki featuring April 29th「久し振りです ミッキーカーチスさん」〉

 オープニング・イベント5daysの最終日となるこの日のライナーには、いくつかの重要なセンテンスが隠れていた。
 ひとつに時代観。「特に政治運動がストイックになっていた頃であった。真面目に突っ込むほど見えなくなった。あれでは間違う」。
 「間違う」と絶対的な善悪を掲げる潔さ。今の時代、絶対的な価値観は皆無と言っていい。一つの真に対する逆説もまた、真である。当時の若者にはまだ一点を見据えて突き進む馬力があったと思われる。

 ひとつにプロダクションの存在。極論すれば、「聴いてもらうための音を売る」か、「聴いて欲しい音を歌い続ける」か、である。今、各レーベルやプロダクションで繰り返されている移籍騒動や揉め事の青写真をここに見る。大勢に巻かれるか、否か。これも今流に言えば正義はどちらでもない。己が信じた方を生き、後悔をしなければ勝利と言えるのだろうが、「メジャー」や「マイナー」という言葉すらない時代に、自らを信じて突っ切り、事を成す体温が、ここにはあったと感じられる。「誠」の旗の下、己が信念を貫いた新撰組の生き方とダブらせるのは乱暴だろうか。
 そしてもうひとつに、結婚式のくだりがある。見ようによっては牧歌的なシーンだが、今で言う「人前結婚式」とでも言うのだろうか。「手作り感」すら売り物になる今のウェディング事情。神社、チャペルですらマーケットを語り出す、そんな現在を待たずして執り行われた式。それはきっと魅力的だったと思うのだ。
以下次号