KYOTO CLUB METRO 2

故あって’90年中頃までは勉強だった。
だが「名」や「銘」は勝手に付いてきた。
 「MONDO GROSSO」「KYOTO JAZZ MASSIVE」「ORIGINAL LOVE」「Fantastic Plastic Mashine」「PIZZICATO FIVE」「groovisions」「TEI TOWA」「the brilliant green」「くるり」「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」…。
 先月号で既報のとおり「KYOTO CLUB METRO」というハコが、様々な事由と、縁と、そして音楽的・文化的な時代背景の中で輩出してきたアーティストである。ハコを説明するのには安直とは知りつつ、敢えてアーティストの名前を列挙することを試みた訳だが、それでもこの名前を見るだけで、ある程度このハコが語れてしまうのが同店の底力と言えよう。
 そもそもブッキングマネージャーの林薫氏が同店に入った頃、’90年のオープンから’90年代半ばまでの数年は、同店と林氏にとっては勉強の年だったのではないかと想像する。
 「(前号で既述の経緯で)半年ぐらいで今の立場になっちゃった(笑)。最初は何も解らないんですよ。自分で企画したり、声をかけていただいたりもあるわけですが、キーになったなと思うのは小西(康陽)さんと繋がったことでしょうか。声かけちゃダメなのかな…、と思ってたのが、実際お会いしてみて『(メジャー・マイナーとかではなく)ただ音楽が好きである、というだけで良いんだ』という気になれた。あとは『アート・リンゼイ』。日本に来てもクアトロ(「クラブクアトロ」。’88年東京・渋谷にオープンし、翌年に名古屋、’91年には大阪・心斎橋にもオープン。現在は広島にも存在する。洋邦問わずビッグネームが次々とブッキングされる日本有数のライヴハウス)3つやって帰るような人ですからね。好きだから声かけてみたら、クアトロはバンドツアーでまわって、ウチにはギター1本で来てくれて、実験的でアバンギャルドなことをやってくれて」。
 小西康陽からは「音楽をフラットに、そして猛烈に愛しなさい」という強烈なメッセージと、プリミティブな薫陶を受けた。アート・リンゼイからは「実験的であることの真の創造性」を、痛いほどに気付かされた。
 伝聞で恐縮だが、当の小西氏もメディアのインタビューなどで、好きなクラブのひとつに同店を挙げているという。’90年代中盤を超えて、ようやく自信のようなものが出てきたということが言えるかもしれない。
知らなくても蓋を開ける勇気と、
そこから学ぶフラットな姿勢と。
 とは言え、同店が名や銘に頼るような宗旨変えはあり得なかった。文頭のアーティストにしても、先の「アート・リンゼイ」にしても、全ては結果論なのである。「来るものは拒まない」というスタンスを貫くことは変わらない。何より同店を支えたのは、「来るもの」の中に多かったカウンターカルチャーだったろう。
 「オープンして2年目か3年目の頃に、京都在住のコロンビアの方の企画で『ラテンナイト』というのをやったんですが、その時は全くラテン音楽には詳しくなかったんです。自分が解らないものだから『人(客)来るの?』と疑ってかかってたら、スゴイ人は来るわ、みんなモノの凄いステップで踊ってる訳です。『あぁ、こんな文化があったのか。スンマセンでしたっ。勉強不足でしたっ』と(笑)。世の中には自分の知らない、実に豊かな文化があるんだと。ハウスなりテクノなり、クラブのアンダーグラウンドな神髄をミニマルにやっていく、というクラブもあるでしょうが、ウチの場合は色んな話が来て、解らないながらもやってみて広がっていくというのが楽しかった。(企画の成熟度は低い)アイデア一発だけど、そのアイデアにやたらパンチのある学生がいたり。だから『掴みどころがないハコ』と言われるのは非常に褒め言葉なんです」。 
 知らないものが入った箱でも、多少疑いつつも勇気を持って蓋を開けてみる。そして中に入っているものを見て、感じて、そして身に付ける。
 ちなみに、同店で定期的に開催されているイベントとしては、オープン後間もない頃からスタートし、現在まで受け継がれているこれも先月に既報の「KYOTO JAZZ MASSIVE」がスタートした「Cool To Kool」が有名だ。だがその「Cool To Kool」を凌ぐ同店最長イベントは、オープン月から続いている「DIAMOND NIGHT」というゲイ・ナイトである。「音楽であったりカルチャーであったり、『無茶をする方がパワーがあるんだ』という事をゲイカルチャーに教えてもらった気はします。面白いことこそ美しい、とね」。銘は無くともその重要性が損なわれる訳ではない、少なくとも同店にとって大切であるという最たる例である。
 ブッキングマネージャーとして好き嫌いはあるが、もちろんそれは問わずにやっている。「好き嫌いの前に世の中が広いというか個人的な好みの幅が狭いというか(笑)。店長の高橋はレゲエのスペシャリストですし、スタッフや周囲から刺激や助けをもらってますね。その中でここは常に本質を追求するような街だと思う。だからこそ、『京都に生かされている』と思うんです」。
「こんなもん儲かる訳があるかい」
開き直って言うのではない大切な事。
 ビジネスの匂いがあまりしない。悲壮感もない。「30人ぐらい解った人間だけが集まってニヤニヤしながら聴いているという風景、『これ以上、一人も増えなくてもかまへんよ』という雰囲気は格好悪いなぁと思ってたんです。だからアングラと呼ばれるような商売をしてるけども『でも儲けたるぞ』というガッツは若い頃はありましたね。今はそういう気概は皆無ですけど(笑)。『こんなもん儲かるかい』という。『儲かったらもうけモン、ぐらいに思っておいて下さいね』とオーナーには言ってます(笑)」。
 「これ(同コーナーの過去の記事)を読んでね、貴重な資料になるなぁ、と(笑)。東京スカパラダイスオーケストラなんかは個人的に大阪まで観に行ってましたからね。その頃にウーピーズさんに来てたんだ、と。改めて京都音楽シーンの奥深さを感じて嬉しくなりました(笑)」。
 同店にも、過去に出演したアーティストのリストがあった。件の「東京スカパラダイスオーケストラ」にしても、一部のメンバー名義でイベントをしているし、「Ego Wrappin’」もオールナイトイベントを行った。他にも「UA」「bird」「曽我部恵一(サニーデイサービス)」「マンディ満ちる」「野沢直子バンド」「石野卓球・砂原まりん(電気グルーヴ)」「近藤等則」「ムッシュかまやつ」「サエキけんぞう」「コレクターズ」「DJ KRUSH」「竹村延和」「鳥肌実」「矢追純一」「浅田彰」「中島らも」「G.LOVE & SPACIAL SAUCE」「アフリカ・バンバータ」「ジョンスペンサー&ブルースエクスプロージョン」など…、洋の東西、ライヴかイベントかの別を問わず、名前を挙げれば錚々たるビッグ・ネームがちゃんと出てくる。「このリストをつくることが楽しみだったんですけどね。『どうやスゴイだろう?』と言いたくて(笑)。でも歳って怖いですよね。面倒くさくなっちゃって(笑)」。
 牧歌的とも思えるコメントだが、それは面倒だからではない。元よりネームバリューに依る必要がないのだ。
 「安かろう悪かろうだけれども、雰囲気とネタとで、面白いから演って遊んでってよ、音は悪いけどゴメンな」というスタンスで、言わば「安物買いの銭失い」だったものが、ここ数年はそう言う必要もなくなった。「ようやく最近なんですけど、サウンド面にしてもこの(ハコの)サイズにしてはすごくイイ音を提供してると思います。アーティストの表現をかなりのリアル度で伝えられるクオリティになりましたし、音響自体で遊んでいただけるようになっていると自負できます」。
 劇的に変化した音響設備は、バンドにもありがたいハコになった。とは言え、今まで以前にしても、音響よりも「アイデア」で楽しませることを選んでいただけのことだ。決定的な負い目を感じていたり、後悔をしているわけではない。
「京都」「左京区」「西部講堂」…。
ここだからできる。生かされている。
 そして立地。もとより京都の独特な磁場をヒシヒシと感じている。若者たちの情報収集能力には瞠目もしている。西部講堂、ブルース・ブーム、磔磔、拾得…と続く音楽好きが多く、アンダーグラウンド・カルチャーに理解が深いという土壌。学生や外国人が多いことが生み出すコスモポリタニズム。14年を経てこの街は熟知したし、だからこそ感謝もしている。
 「そういう地盤があるところでこういう商売をさせてもらってるから成り立つのかな、と。世代的には僕はリアルタイムでブルースを聴いてもいないし、’70年代当時のミュージックシーンが浸透してる訳でもない。でもそこかしこに残り香があって、単純に歴史の恩恵はやっぱり受けてます。特にこの左京区という立地は西部講堂に近い。左京区の学生たちっていうのは良い意味で青臭いし、だからメトロというのは永遠のアマチュアなんでしょうね。自分たちが成熟してると思えたことが一度もないし(笑)」。
 これまで当コーナーではライヴハウスのオーナーや、ブッキングマネージャーの話を伺ってきた。現在のミュージックシーンの問題や、バンドやアーティストへの考え方や接し方を見てきたわけだが、同店には熱さ(悲壮感や焦燥感に近い)、というか、温度はあるのだが汗くささを感じない。より良く静観しているとでも言うべきか、客観性がそう思わせるのかもしれない。
 誰かを「育てた」という意識はないし、「あんまり苦言も言わないですね。こちらも『仕事だ』と言ってヤな顔して働いてるということはないから。自らに言い聞かせている部分もありますが『本当にやりたい、表現したいのか?』と突きつめて考えるべきだし、『何故これをやるのか?』という考えを持ったアーティストに出演して欲しい。こんな世界ですから、出る側も音楽が好きでここを選んできてるはずだから。やりたいヤツしか集まって来ちゃいけないんだろうし、でなければ他に仕事を持つべきだろう、と」。
「ever green」。古い言葉かもしれないが、
これ以上「メトロ」を上手く表す言葉もない。
 「そもそも儲けようと思うと中途半端なハコなわけです。ムチャクチャ儲けろ、ということは1000人キャパを目指せということで、それを言っても仕方がない。それより通常1000人のキャパでやる人が、ウチでやる意味は何だ? と。(ライヴやイベントを)一本骨休めで、京都という音楽の浸透度の濃い場所で、お客さんの近くでやっとこか、と。そういう形を成り立たせるというか、(2~300のキャパでは)それしかできひんやん、と」。何度も「レーベルやったら良いのに」とも促されるが、自らが触れる音にしか手は出さない。「ライヴミュージックならまだしも、レコーディングミュージックに関してはまだまだ勉強不足。安易にはできません」。乞われるから音楽をつくるのではなく、「音楽をつくらなければ死んでしまうな」という人に当たっていきたいと思うだけ。
 一見突き放しているようだが、本物と思えるアーティストとの邂逅や、積極的に音楽や文化に関わる利用者や同業者・関係者・先達との関わりの中で教えられることが多々ある。メトロというフィルターを通して、世の中に還元することももちろん行っている。それは日々のライヴやイベントを通して伝えることであり、またそれとは別に「メトロ大學」というカルチャースクール(と表現すると簡単に過ぎるのだが)を開催しているのもその一つだ。
 同店のコンセプトシートには物書きもかくや、という名言が多くある。
 「変わり続けて、やっと現状維持」。停滞が相対的な後退であることを知っている。
 「Thinking Global , Acting Local」。森を見た上で木を語ることを知っている。
 そして、「アクシデントも、神様とのコラボレーションです」という言葉にとどめを刺す。
 インプロヴィゼーションもそう。飛び入りもそう。年代や演者が変わろうとも、予定調和を否とする、クラブ・ライヴハウスの神髄は、自然と胸に刻まれている。
 血気盛んに引っ張っていこうとする者があり、それに必死でついていこうとする者があり、中には空回りする者もいる。勇み足でつまずく者もいる。だが雑多な青臭い人間の集まりの中で、時に光る人間が現れる。若い。常に若い。その若さが、良い方へ良い方へ転がって今がある。昔若かった者も、良い想い出があるから今も同店を愛している。言葉にしても青臭いかもしれないし、少しくすぐったいような気もする。
 だが同店を見ていて、そして話を聞いていて、「ever green」という言葉を、久しぶりに思いだした。これは良い言葉なのだと、自然に思えるのだ。