伏見稲荷に詣でだら・・・
稲荷大社に参詣する道すがら、神具店や茶店には必ず立ち寄る。
茶店での小生のお決まりは、「すずめ焼」「うずら焼」「稲荷ずし」「鯖寿司」「きつねうどん」である。
骨が多く香ばしい焼き上がりで、醤油ダレ味のすずめは欠かさず頂く。
この時期、普段の倍近い値段で並べられているのが「寒すずめ」だが、どうも味の違いの分別がつかない。しかし、縁起かつぎの振る舞い気分で、太っ腹になって「寒すずめ」を注文する。
うずらはすずめよりも肉厚で、鳥肉の食感が充分にある。
焼き上げのタレはどの店も決まって秘伝という。
何れも丸ごと串に刺し、焼かれて出てくる。いわば、姿焼きである。
何れが旨いかと問われれば、骨せんべいを食べるがごとくに、頭ごとすずめをバリバリといただかれるのをお奨めする。
どこの神社へ行こうと、どこの茶店であろうと、どの露天商の屋台だろうと、すずめ焼きはない。
ここ伏見大社ならではのものである。
残酷というなかれ、五穀豊穣を祈願する農耕の神様からすれば、すずめや野鳥は農作物を荒らす害鳥であったのだ。そして、野鳥の宝庫である稲荷山から深草、藤森あたりでは、大量に食用としていたのだ。
江戸時代の「蜀山人(しょくさんじん)」の別名を持つ狂歌師太田南畝(おおた なんぽ)は、
「一つとり、二つとりては焼いて食い うずら無くなる深草の里」(蜀山百首) と詠んでいる。
これは天明狂歌の秀作で、「夕されば野辺の秋風身にしみて 鶉(うずら)鳴くなり深草の里」(千載、藤原俊成)の本歌を取り、パロディとしたものだが、野鳥が好まれ、名物となってゆく由縁が伺えるというものだ。
天正17年(1589年)寄進造営した楼門を見上げながら、豊臣秀吉も串刺しのうずら焼を口をしていた姿が目に浮かぶ。
きつねうどんには、キツネの好物であるという油揚げがのっている。
キツネの好物の油揚げで包む寿司飯を「きつね寿司」、では芸がないと考えたのか、キツネの神様の稲荷の名を貰って「いなり寿司」、と命名されたようだ。
しかし、この二つは稲荷大社や伏見名物ではない。
伏見稲荷にあやかった浪速と江戸の食べ物なのである。
稲荷大神の眷族(けんぞく)使者の白狐さん(びゃっこさん)の好物であるに留まる。
京の名物寿司で言うなら「鯖寿司」である。と思いつつもイナリ寿司はいただく。
伏見稲荷にまつわる名物名品というなら「稲荷人形(伏見人形)」である。
日本最古の土人形であり、全国にある土人形の原型なのである。
江戸時代初頭、鵤幸右衛門(いかるがこうえもん)が「深草瓦師」達に稲荷門前にて稲荷山の土をもって作らせたものだ。
また、この稲荷山はいわゆる“東山三十六峰”の最南端に位置する霊峰で、杉の木がご神木である。お山を巡拝すると、「傘杉,一本杉,三本杉のお社」に出会うことができる。
神道関係の書には、狐信仰になる前の平安時代以前は、龍蛇を眷族とする蛇信仰の場であったと記されていた。
それを読んだせいか、杉の葉の柄、姿が蛇のもつ文様に近似していることに気づいた。
伏見稲荷大社
京都市伏見区深草藪之内町68番地
075-641-7331
http://inari.jp/