• CF!歩み
  • 記事検索
  • aboutus
    京都cf!
    • イベントカレンダー
      • イルミネーション
      • 今日あすのイベント
    • ニュースな街ネタ
      • アートイベント
      • グルメイベント
      • ランチ
      • 京菓子・スイーツ
      • 京料理
      • イベント・催事
      • ビジネスニュース
      • 花暦花便り
      • エンタメ
      • ショップ
      • スポーツ
      • 近場でおでかけ
      • 町角のネタ
    • CF的グルメ
      • 京都ラーメン学
      • ラーメン・つけ麺
      • そば・うどん
      • カフェ・コーヒー
      • パン・サンドイッチ
      • 洋食・欧風料理
      • スペイン料理
      • イタリア料理
      • フランス料理
      • ベトナム料理
      • 中華料理
      • 和食
      • 定食・食堂
      • 居酒屋・ダイニングバー
    • 京都人・コラム
      • 五所光一郎:コラム京に癒やされ
      • 五所ブログ:烏丸かわら版
      • 谷口年史:京都ミステリー紀行
      • 木村英輝
      • 高見重光
      • 東郷一重
      • 番外インタビュ
    • 音街京都
      • 京都のライブハウス
      • ClubScene
      • Mojo West Chronicle
      • Mojo History
      • 京都系アーティスト
      • 京都系新人
    • 祭・季節
      • 梅名所 京都
      • 節分祭
      • さくら名所・名木
      • 葵祭
      • 祇園祭
      • 時代祭
      • 洛中洛外観月ポイント
      • 紅葉の特別拝観
      • イルミネーション

    京に癒やされ

    花と言えば梅

    梅 花見
    観梅 北野天満宮 菅原道真
    梅 花見
    梅 花見
    梅 花見
    梅 花見
    観梅 桓武天皇 京都御所
    平安京遷都紫宸殿前は、左近の梅右近の橘が植えられた
    観梅 村上天皇
    鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事を基として、963年に村上天皇が植え替えたという説もあるが、この梅の代わりに植え替えられた桜は清涼殿前であるようだ。
    観梅 嵯峨天皇
    812年、嵯峨天皇が南殿で催した最初の観桜会
    梅 花見 大宰府天満宮 菅原道真
    飛梅
    梅 花見
    観梅 大宰府天満宮 菅原道真
    飛梅
    観梅 菅原道真
    観梅 鶯宿梅
    観梅
    紫宸殿前 左近の桜
    観梅  京都御所
    左近の桜 右近の橘
    梅 花見 京都御所紫宸殿
    梅 花見
    梅 花見
    梅 花見
    花見 京都御所
    観梅 大覚寺 嵯峨天皇
    左近の梅 右近の橘

    左近の桜は藤原氏の陰謀で左近の梅の座を奪い取ったという推論

    平安朝の「桜」は時代の気風を表している都の花であった。
    貴族の花見が「観梅」から「観桜」に変わってきたのもこの頃のようである。
    だから、「花」といえば「桜」というほどに都人は桜を愛するようになっていったようだ。
    それ以来現代に至るまで、「桜」は表舞台に立ち、「菊」と並び日本を代表する花となっている。

    それに比して、「梅」は常に地味で粗末に置かれている感がする。
    京都において、更にもっと「梅」が持て囃されて良いのではないだろうか。
    こんな不思議を抱いていた。そして、書物や伝承を探っていくうちに少しく頷けた。

    奈良時代に遣唐使(630〜894年)によって伝来した「鳥梅(うばい)」は日本に根付き、万葉人に愛されていた。そして白梅から紅梅へと平安時代に受け継がれている。
    794年平安遷都にあっても、桓武天皇は、紫宸殿前に左近に梅、右近に橘を配している。

    ところが812年、嵯峨天皇が南殿で催した最初の観桜会を皮切りに、梅をこよなく愛した右大臣菅原道真公(845〜903年)の興亡を境に、俄かに貴族文化象徴の花の様子が変化し、後世に向けて一転しているように思えてならない。

    飛梅(とびうめ)伝説によると、901年1月藤原時平のねたみから無実の罪で大宰府へ左遷となった道真公を慕い、京の邸宅書斎の紅梅殿から大宰府天満宮へ一夜にして飛来した梅がある。飛梅は大宰府天満宮本殿前の右側にあるご神木である。

    このとき詠んだのが
    「東風(こち)ふかば においおこせよ 梅の花   あるじなしとて 春なわすれそ」
    である。

    この歌を詠んだ2年後、道真公は帰京することなく大宰府にて従二位大宰権帥(ごんのそち)として没した。

    その2年後、従者「味酒安行(うまさけのやすゆき)」によって大宰府に祀られた。

    しかしながら、帰京できぬ道真公の怨霊に纏わり悩まされた朝廷は、没後44年(947)にして、やっと北野天満宮を創建し、追善供養することにした。

    が、その後も神格化された道真公の怨霊説が止むことはなかった。
    朝廷より最高位の太政(だじょう)大臣を追贈されたのは、時既に993年、左遷詔書より92年を経ての出来事だった。

    さて、御所紫宸殿前の左近の梅が桜に変えられたのはいつ頃なのか。
    一説に、鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事を基として、963年に村上天皇が植え替えたという説もあるが、この梅の代わりに植え替えられた桜は清涼殿前であるようだ。

    また一説に、846~848年頃に 仁明天皇が桜好きだった嵯峨上皇を偲んで桜へ植替え、その実、藤原時代到来の威力を知らしめたという説がある。
    この頃というと、道真公生誕(845年)の間もないときである。
    歴史を背負う紫宸殿の梅の精の生まれ変わりとは考えられないだろうか。

    梅の精を背負い不運な最後を遂げた菅原道真公と、仁明天皇をして藤原の栄華を示唆し桜になぞらえた太政大臣藤原良房の運命めいたものと、小生は推論したい。
    仁明天皇が御所には左近の桜と命じられてから以降、桜の置かれる位置となって歴史は続いている。その後武家社会では花は桜が主役の座についてる。

    しかし、初の観桜会を開いた嵯峨上皇の住まいした嵯峨御所(大覚寺)は、今も左近の梅が護られている。

    菅原道真公と天神縁起 (Lumi)
    http://www.ffortune.net/symbol/rei/mitizane.htm
    山陰亭 (Makiko Taniguti)・・・菅原道真に関わる詳細情報が一読瞭然です。
    http://www.michiza.net/
    京都御所
    http://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

    仁明天皇, 北野天満宮, 大宰府, 大覚寺, 嵯峨天皇, 嵯峨御所, 御所紫宸殿, 村上天皇, 桓武天皇, 菅原道真, 藤原時平, 藤原良房, 遣唐使, 飛梅伝説, 鳥梅, 鶯宿梅80631 : 130228

    Related Posts

    京に癒やされ /

    狸谷不動院 千日詣り火渡り祭

    京に癒やされ /

    どこで愛でるか花菖蒲 その2

    京に癒やされ /

    どこで愛でるか花菖蒲 その1

    菖蒲の節句とちまき

    京に癒やされ /

    菖蒲の節句とちまき

    京に癒やされ /

    菖蒲の節句発祥の地 藤森神社

    ‹ 道真公と梅 › ひなまつり

    記事分類

    • ニュースな街ネタ (5,159)
    • 紅葉 (66)
    • イルミネーション (92)
    • 伝統文化・歳時 (685)
    • 京都さくら散策 (230)
    • 祇園祭 (53)
    • 観梅 (34)
    • CF的、京都グルメ (483)
    • 京都ラーメン学 (24)
    • コラム (1,296)
    • 京都サブカル小論 (8)
    • NAKED Eyes (4)
    • REAL FACE (35)

    タグ

    MIHO MUSEUM さくら名木古木 アサヒビール大山崎山荘美術館 アンスティチュ・フランセ関西 ライトアップ 三室戸寺 上賀茂神社 下鴨神社 京都水族館 京都系 京野菜 伏見稲荷大社 八坂神社 北野天満宮 千本釈迦堂 城南宮 壬生寺 大覚寺 嵯峨釈迦堂 平安神宮 平清盛 新風館 日本酒 清水寺 無鄰菴 特別公開 知恩院 神幸祭 節分 紅葉 若冲 葵祭 観梅 豊臣秀吉 還幸祭

    Back to Top

    ClubFame & 京都CF! http://kyotocf.com