京の夏の夜は火の祭典
京の八月は火の祭典で始まり火の祭典で幕を下ろす
夜明け前から身支度し、墓掃除に出向いた。日の出とともに、墓地の草引きや植え込みの剪定を始める。
蟻達の朝も早い。地べたを足早に行進している。負けじと無言で鎌の手を早める。
昼前には墓石を洗い上げ、高野槙を供え、線香に火を点ける。
お精霊(しょらい)さんを迎える支度は、八月の最初の土曜日に行うのが我が家の恒例である。朝早いのは炎天下での熱射病を避けてのことだ。
木陰を選び持参の弁当を広げ、心地よく流れる額の汗を拭き、下界を眺める。
毎年毎年、長年同じ様に繰り返している。
自宅に戻ると、玄関で着衣を脱ぎ捨て、座敷間に向かう。
簾(すだれ)を見やりながら、敷かれた網代(あじろ)に横たわる。昼寝の時間が過ぎてゆく。そうすることでご先祖さんとお盆が迎えられるわけだ。
京都では、8月7日から「お精霊(しょらい)迎え」が行われ、15日16日の2日間で「お精霊(しょらい)送り」を行うのが、古くからの習わしである。
夏の風物詩「大文字」こと「五山の送り火」は、この「お精霊(しょらい)送り」の伝統行事である。
「大」の字や、「妙法」、「舟形」や「鳥居」が幽玄に夜空を照らす感動を味わっていただく事に異論はない。だが、行事として存在するのは「送り火」だけではない。
「送り火」があるからには、「迎え火」もある訳で、いずれも長い年月、受け継がれてきたものだ。
京都に住まう者としては、どちらも同じぐらい重要なもので、ましてや「送り火」は花火大会の代わりではない。そのことを語り継がずにはいられない。
「お精霊(しょらい)迎え」とは、「六道まいり 」を行い、「迎え火」と「迎え鐘」で、十万億土の冥土から先祖の精霊が迷わぬよう招くことである。
あの世との出入り口は二つある。上は「千本釈迦堂」で、下は「六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)」。
前者では近くの「千本ゑんま堂」で「迎え提灯」が点され「迎え鐘」が撞かれる。
後者では「迎え鐘」が撞かれ、近くの「六波羅蜜寺」では「迎え火」が焚かれている。
幼少の頃は、13日の夕刻には縁側の軒先に盆提灯が吊るされ、玄関先で「迎え火」を焚いた。素焼の焙烙(ほうろく)にオガラ(皮をはいだ麻の茎を干したもの)を積み重ね燃す。いわゆる「オガラ焚」である。合掌して、オガラから蝋燭に火を移し、仏壇に供える。
オガラ(苧殻/麻幹)の煙に乗って、先祖の精霊が家に入ってくると祖母は言っていた。
オガラは中世には大麻であろうから、その煙で幻覚的な状況を作り出していたに違いない。
仏壇に灯る蝋燭の火は各家庭に留まらず、各寺院の行う「万灯会」の灯明となり、寺院や墓地、池や川に献灯され追善供養が行われ、信心の灯明が京都の夜を幻想的な空間に仕立て上げている。信仰心も持たずしても「夜まいり」を経験していただきたい。
日本人の持つ因子が反応を示すことがお分かりいただける筈だ。
「東大谷万灯会 (8/14,15,16 )」「三千院・万灯会(8/14,15)」「壬生寺の壬生 六斎念仏と万灯会(8/9,16)」「広沢池・渡月橋畔・精霊送り万灯流し(8/16)」 「愛宕古道街道灯・化野念仏寺千灯供養(8/23,24)」もうこれ以上挙げる紙幅がない。
両親を供養するために、幼子が力を合わせて灯明を灯す油を買い求め、その灯りで説法をするお釈迦さまの足もとを照らし、その後深い仏縁に恵まれた。
これが万灯会に繋がる故事、由来であると聞く。
これだけではない。同時期の京都では「松上げ」が行われている。野火と夜空を染める松明は、火ふせの神「愛宕信仰」の神事である。火の神に故郷の安全と無火災を祈り、五穀豊穣を願い、15日より24日までの間洛北から若狭にかけて続けられている。
いみじくも8月1日は愛宕神社千日詣の日である。千日分の火伏・防火の御利益があるとされている。
これらの数々の花火に勝る火の力は、見たものだけが知る世界である。
京の八月は火の祭典で始まり火の祭典で幕を下ろすということなのか。
大文字 (京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/gozan/index.html
六波羅蜜寺萬燈会
http://www.rokuhara.or.jp/event/aug.jpg
東大谷祖廟
http://www.tomo-net.or.jp/guide/ootani.html
花背の松上げ(.travel jp)
http://guide.travel.co.jp/article/5135/