京のあじさい
町家や石畳に雨のあじさいがよく似合う
6月に入ると、京都も梅雨入り宣言の声が聞こえる。
鬱陶しい雨空の季節というなかれ、水無月の京都は贅沢である。
雑記帳に走り書きしてある六月のメモを繰ってみた。
「朱の回廊 池に睡蓮・花菖蒲」
「座禅僧 苔の緑に 沙羅双樹」
「杉苔の 枯山水に 萩 桔梗 」
「谷あいは 緋に薄紅の 花の波」
「ししおどし さつきに白砂 また紫陽花 」
それぞれがいずれの場所か、この拙い句でお分かりになるだろうか。
心の目に留まったものを羅列したに過ぎないが、訪れた方ならピンと来られ、おそらく情感を紡がれているだろう。
これだけでお分かりになれば、京都検定非公式の有段者で京の行楽をされているに違いない。
タネを明かせば、順に平安神宮白虎池、妙心寺東林院、東福寺天得院、善峰寺、詩仙堂で書き留めたものである。
6月の花暦をあらためてみると、意外に豊富なのに気がついた。水無月に花ありて集うは、風流人の所作のように思えてくる。
メモを更に繰り、拾うと。
「杉木立 つつじ あじさい 蓮の苑」 宇治 三室戸寺にて。
「あじさいは 山 星 額の 紫蘇の里」 大原 三千院にて。
「洛南の 神楽 蹴鞠に あじさい苑」 伏見 藤森神社にて。
と、観光客も訪れる京のあじさいの名所を記している。
三室戸寺は、「あじさい寺」と称され、30種・約一万株の西洋あじさい、額あじさい、柏葉あじさい、七段花等が杉木立の間に咲き誇り、まるで紫絵巻のように素晴らしい景観である。この光景を見て、絵心もないのに筆を取りたいと思ったほどである。
三千院のあじさいは、奥の院のあじさい苑に約三千株以上あり、舞妓あじさいにはじまり、星あじさいに、山あじさい・額あじさい・蔓あじさいなどが所せましと咲き乱れ、多くの珍種に出合える。
さらに「あじさい祭」開催の初日には、金色不動堂において大般若転読会法要と息災祈願の採灯大護摩供法要があり、修験宗の導師による法剣・法弓・斧の作法などの古儀を見物し、煙と炎に圧倒される感動を頂ける。
あじさいの寺院の名所で、20種約五千株を誇る岩船寺があるが、残念ながら未だ拝観できていない。今年には是非訪れたい。
藤森神社は「紫陽花の宮」の名に相応しく、境内二ヵ所に紫陽花苑があり、1,500坪の苑内には40種約三千五百株のあじさいが咲き誇っている。
紫陽花まつりの期間中は神事にはじまり、芸能の奉納行事も休日に行われている。
あじさいは神社仏閣を訪れなくても、市内のどこででも見られるほどに一般的な花である。学校でも、公園でも、町家の坪庭、軒先の鉢植えでも、梅雨の間中、様々な色で咲き、優しく微笑みかけ心和ませてくれる。
その葉に、カタツムリやアマガエルを乗せている時など、記憶の彼方に置き去りになっている少年期の思い出が、鮮やかに蘇る。
縁側の端、日本手ぬぐいの掛けられた下にある手水鉢の横に咲いている光景は、昭和の原風景である。どこにでもある日常だった。
枝垂れ桜が京のハレの花の代表なら、あじさいは京のケの花の代表といえまいか。小生はそう感じる。雨の日外出しなかった幼少の頃、眺めているのは庭のあじさいだったからかもしれない。
あじさいには雨がよく似合う。やはりまた、京の町家や石畳にも雨が似合う。
だから、あじさいは京の花だと思う。とりわけ雨上がりのあじさいが一番好きである。
蒸し暑い湿気の中、この花のもつ清涼感は、粋に着付けしたうしろ姿の女性のようだ。とても素敵である。
雨上がりの花や葉に残った水滴の瑞々しさ、そこにまんべんなく射すやわらか陽光、その行きわたる優しさに、少年の頃好きだった着物姿のお姉さんが重なる。包み込んでくれる母性に慕情を抱いていたのだろうか。
犬走りに沿ってろーじを行くお姉さんの後ろ姿をずっーと眺めていた。そのろーじの脇にもあじさいが咲いていた。
蘇ってくる記憶の糸を紡いでみても、なにひとつ結果などないのだが、素の自分に還れる気がする。
無心になって色紙を千切り、あじさいの絵を描いた幼き日の思い出は 誰の心のなかにも見つけることができるのではないだろうか。
鎌倉末期に園芸種となった額あじさいは、幕末ヨーロッパに渡り更に改良され逆輸入された。現在多く見かける西洋あじさいなどてある。
シーボルトが著した「日本植物誌」には12種のあじさいが記されている。
彼はそのひとつを「ハイドランジア・オタクサ」と命名している。彼の愛人楠本滝は「お滝さん」と呼ばれ、その名に因んでいるという話はあまりにも有名である。
しっとりと艶やかで慎ましやかに咲くあじさいにお滝さんの面影を重ねたことが容易にわかる。
先だって町家の甘味処で蕨餅を食べた。ガラス戸の先に坪庭がある。今は使われていない井戸の近くに、地植えされたあじさいを見つけた。葉がこぼれ落ちる光を浴びている。花はまだ小さい。近いうちに、また来ようと思った。