粟田祭☆祇園祭の代役を担った室町時代
「神輿と剣鉾の巡行列」や「剣鉾の居祭り」もさることながら、 粟田神社を出発し知恩院黒門前瓜生石までの「夜渡り行列」と、 瓜生石前での「れいけん祭」を知らずして、京の祭りは語れないといえる。
まず、この粟田大祭の「れいけん祭」には圧倒される。
10月に執り行われる大祭は千年以上の歴史をもつ神事であり、
祇園祭の代役を担った室町時代の歴史をも持つ。
夜渡り神事の行列には、十二灯や粟田大灯絽、神輿のナリカンが練り歩く。
行列が知恩院前黒門前に到着すると、門が開かれ僧職が厳かに石段を降りて来る。
新しく神霊を迎え入れる儀式「れいけん」が神職・僧職の合同で執り行われる。
そして、瓜生石の周りを、おのおのが神かがったように廻り出すのである。
もっと知りたい と思えば→→ コラム/ 粟田大燈呂 ねぶた祭の原点か
その瓜生石とは、牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し、 一夜のうちに瓜が実り、その瓜の表面には「牛頭天王」の文字が記されていたと語り継がれている石である。
そして、この祇園の地に牛頭天王を祭る祇園感神院(876年祇園寺建立)が創建され、 牛頭天王の神霊を移すその瓜を納めた(860年)場所には祇園感神院新宮を設けた(876年)という。
その後明治時代になり、神仏分離令によりその祇園感神院が八坂神社と、
祇園感神院新宮が粟田神社と改称され、今日を迎えている。
そして、この祇園の地に牛頭天王を祭る祇園感神院(876年祇園寺建立)が創建され、 牛頭天王の神霊を移すその瓜を納めた(860年)場所には祇園感神院新宮を設けた(876年)という。
その後明治時代になり、神仏分離令によりその祇園感神院が八坂神社と、
祇園感神院新宮が粟田神社と改称され、今日を迎えている。
令和元年10月粟田祭のお知らせ
10月12日 18:00神賑・石見神事 22:00~出御祭(おいでまつり)
10月13日 夜渡り行列 出発 17:30頃 「れいけん祭」
10月14日 12:00神幸祭 12:20「剣鉾」の先之行列出発 12:45「神輿」の渡御行列出発 18:00頃 神輿の帰着 還幸祭
10月15日11:00~ 例大祭(舞楽の奉納、抹茶の接待など)