葵祭を楽しむ法 ・にわか写真学習 その1
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになった。その葵とは・・・・・これ
徳川家の家紋が「葵」であることはどなたもご存知だが、あれは「三つ葉葵」である。
上賀茂神社・下鴨神社に伝える「葵」は・・・「ふたば葵」である。
祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)が神山に降臨されたときに、
縁を持たれたのが「ふたば葵」なのである。
コラムをご覧ください→葵祭 斎王のお歯黒とふたば葵
もとは京の先住民族ともいえる賀茂氏の祭りであった。
現在の上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)は賀茂氏の氏神で、
五穀豊穣を祈願する祭りが、平安遷都を境に、国家的な祭りへと発展していったものである。
葵祭の主役は・・・勅使 そして 斎王代
勅使が本来主役である祭礼である。
天皇の命を賀茂の神様にお持ちする行列なのである。
第二次大戦中途切れていた祭礼が、1953(昭和28年)年に復活された。
勿論神事は途絶えず行われていた。
そして、復活された3年後の1956年(昭和31年)になって、斎王代が行列に登場したのである。
以来、葵祭の主役は「斎王代」 だと思われているが。
葵祭の主役は馬と輿に乗って行列されるが、元々は牛車に乗られているはず。
皆さんによく見えるようにと、牛車から下りられて、馬と輿に乗られての行列となっている。
さて、その牛車それぞれは、どちらがどちらに乗られるか、お分かりか。
御所を出発すると、下鴨神社を目指し、上賀茂神社に着かれる。
上賀茂神社に入られるときは、一の鳥居前からは徒歩となる。
斎王代とは、その名のとおり斎王に代わるもの。つまり斎王の代理である。
斎王は「いつきのひめみこ」とも読み、「斎」は「潔斎して神に仕えること」の意味である。
斎王はかつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王、女王を指していた。
平安の昔、賀茂祭ともいわれた葵祭が国祭であったころ、
賀茂の宮には斎王がおられ葵祭に奉仕していたと伝える。
といいつ、あと一週間だな・・・・・
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