京都のヘソのような場所。
繁華と雅の谷間に顔を出すタナトス…。
だからこその自由と、
オモシロさがそこにはある。
第17回 2009年3月
たそがれ木屋町の縮図的エリア…ともいえるのが、御池〜三条の間じゃないだろうか?
なんというか、木屋町というストリートそのものが、黄昏時からの街であることは言わずもがな。それはそれとして、御池〜三条(というよりも龍馬通から上)は先斗町が無いことと、立誠小学校の周辺区域から外れていることで、高度成長期(昭和が昭和な「パッチギ」の時代)に独特な店というかビルというかが、川床を持つ老舗を虫歯のように浸食しながらニョキニョキとでき、これまた高瀬川を挟んで河原町との間にもいっぱい、雑居から巨大なものまでビルがニョキニョキとおったって、京都の昭和的新しい風俗を一手に引き受けたのがこのエリアである。
その時代からバブル期(昭和末〜平成初期)までに形成された街の風景が、まんま21世紀になっても風化することなく現存し、かついい感じで店の新陳代謝が行われていることで、江戸末期(維新の時代ね!)から平成20年代に暖簾をあげた店が仲良く並んで(というかすし詰めになって)いる。
祇園とも、木屋町とも、河原町とも言われることもなく、繁華街としての認識もあまりなく…。このエリアは今の時代感覚ではそれがお洒落ととらえられている、ちょっと外れた場所なんだけれど、決して街じゃないというわけではない…という距離感を京都という箱庭のなかで、連綿と続けてきた場所なんじゃないだろうか? そんな気がするのは、千本や大宮・西院、三条会商店会にしても繁華街としての役目が一旦終わった場所にもう一度スポットが当たっているというか、街場のポテンシャルの再評価(きっと河原町もそんな時が来るのだろう)であるのだが、この木屋町三条上ルエリアは、繁華(ハレや縁日的空間)ではなく、陽の当たらないところというか一種のエアポケット的な、向こうとこっちを行き来する口のような場所、タナトスを感じるからだろうか?
なんて書きながらなんなのだが、この一角は不思議なことに神仏に関する宗教施設はない。しかし面白いことに河原町カトリック教会はある。そしてロイヤルホテル&スパもあれば、ラブホもある。文教地区ではないのだから、まぁ行政的には問題はないのだろうが…。だからこそハレや縁日的空間と、セックスという死へ向かう行為は絶妙な距離感を持った場所を必要とするのである。
そんなことを考えたのは、[キャラメルママ]がこのエリアに移転したことと、[マザー]ができたことと、マメちゃんの店が無くなったことと、[タバーン]へは未だに先輩と一緒でないと行けないことと、[中川酒店]でいつも播ヒロシやDJのマメツカ君がいた[フィッシュ&チップス]って昔あったよな〜と思うことと、[ノルマンディー]で[ランスパート2]のことを思い出すことと、それぞれが自転車にのって[南国]に入っていくカップルを見て、心で「ガンバレ!」ということと、[焼肉の弘]が一杯で「あ〜今日は焼肉の気分なのに〜」と思いつつ[モリタ]ですき焼きを食べてしまうことと、[7−2]で間宮吉彦の内装を見つめながら[クック・ア・フープ]が無くなったことを思い出すことと、今もなおこのエリアに[DD]があることと、[クラブ・モダーン]があったことと、エディと呼ばれる男が祇園安井のパンクなライヴハウスのブッキングマネージャーをクビになってから始めた服屋[片山洋品店]がここにあることと、王将のソーハンと比べたらあかんとは思うが、世の中で焼飯って決してバカにしたあかん食べ物やと思い知らされた中華料理屋のあとに[エビスヤテイラー]がそのまんまのハコでブティックをしていることと、出前をしてくれるピザ屋で京都で一番美味いと俺が思っている店があることと、[めなみ]と[京都ネーゼ]があることと、決して無縁ではないと思う。