家尊人卑(その5)
~江戸時代の婿養子は辛かった~
さて、今回は「江戸時代は男尊女卑ではなかった」ということを証明するために、前回までとは逆に「養子」という点から見ていきたい。
商家とか資産家の場合、跡継ぎがいなければ大変である。そこで「家」を守るために養子を迎える事になるのだが、養子をとったら男女に係わらず総領となり、たとえその後で養父母に実の男子が生れても養子の「総領」という身分に変化はなかった。
ここで大事なのは女の子でも養子になって、しかも総領(家の跡を継ぐ子供)になれたということ。しかも男子同様その身分は不変だった。
前回まで書いてきた持参金と同じく、養子に関しても養父母は養子の実家に誓約書を入れなければならなかった。
並木永輔の『双扇長柄松』の中に「返り手形」(養子の実家に渡した誓約書)の文言として、
「娘小とらを養子に貰う上は、たとえ実の子が出来ふ共、此小とらを惣領に立ふ。成人の後、いか様の事が有りても、勤奉公になどには、堅く売り申すまじく候」
とあり、絶対に他所へ働きに出したりはしないと約束している。この娘に家を継がすと誓約しているのだ。養女が家を継げた。
これが男尊女卑ですか?
紛れもなく「家尊人卑」である。
次に婿養子について。
いわゆる「ムコどの」の身分だが、「家名のみを相続し、遺産は家女が相続する」のが仕来りだった。男は名前だけ。財産はその家に生まれた奥さんのものになる。商家で言えば婿養子は商売の営業権は握れるが、財産は全て「その家の子供」である奥さんのものだった。子供が生れたら当然その子に相続権が出来る。婿養子には何もなし。
だから婿養子が離縁されたら家を出て行かなければならなかった。それこそ風呂敷包みひとつで追い出されたわけである。
涼花堂斧麿の『当世誰が身の上』の中に出てくる話に、
「婿養子というものは財産はみな娘(奥さん)に譲られてしまうので、女の心に入ることが出来なければ追い出されるし、子供が生れても生甲斐も無く男の胸をさすり暮らし、(奥さんに)追従軽薄を言い並べ、下人に劣ることが多い」
というのがある。
「財産は自分のものにはならないし、奥さんの気に入らなければ追い出されるし、子供が出来たって生甲斐は持てないし、奥さんに媚へつらい、使用人以下の生活をすることになる」
婿養子は本当に辛かったようだな。
時代劇のファンなら、ここで昭和の人気シリーズ「必殺仕事人」で藤田まことが演じた中村主水を思い浮かべたであろう。そう、あの「ムコどの」の設定は、実にリアルであったのだ。
神沢貞幹の『翁草』巻5には、
「男は婿養子に行て不縁なるとき、其の家を立退ところ離縁の証拠なり。(中略)その所以は家女に家を相続させんが為に婿をとるの主意なれば」
とあり、跡継ぎの男子がいない場合は女子に財産を相続させるために婿養子をとるのだと明記されている。
女の子でも家が継げた。このあたり「男系男子」にこだわっていませんね。
これが男尊女卑ですか?
間違いなく、家尊人卑ではないか。
ところで、普通の結婚で奥さんが持参金を持ってきたように、婿養子が持参金を持ってくることがあった。持参金というのは女性に限ったものではなかったのである。
で、離婚の場合、この持参金がどうなるかは女性の持参金の場合と同じ。男女の立場が逆になるだけ。
①婿養子から離婚を申し出たら持参金は返さなくても良い。
②奥さんから離婚を申し出たら持参金を全て婿養子に返さなければならない。
③婿養子に過失があって離縁される時は持参金は返さなくても良い。
この辺りの仕来りは男女平等なのである。
ただし、やはり例外はあるというもので、涼花堂斧麿の『当世誰が身の上』の中に、世間の常識とは逆に婿養子に財産の半分を譲ったお父さんの話がある。
娘に婿養子を迎えたお父さんが、「離婚の場合は財産を夫婦で二分割して分けるべし」という書置に夫婦納得の判を押させ、「財産の半分は初めから婿どのへの引出物だ」と約束して、婿養子はそれをありがたく思い、娘は何事につけ父親の言いつけを守ったので、その家は栄えた。
というお話なのだが、なんとこのエピソードに世間の人たちは、
「娘に跡を譲らず婿を大切にしたる事、めづらしき親心と、世の取沙汰に合けり」
娘に財産を譲りもしないで婿どのを立てるなんて、変わった親心もあったもんだと、世間の噂になったという。
こんな噂が出たとされるのも、「息子であろうが娘であろうが、財産は自分の子供に譲るもの」というのが社会の常識であったからなのである。つまり、それは「家の財産」だからなのだ。
これが男尊女卑ですか?
違う。家尊人卑なのである。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・280】