高瀬川沿いの桜並木☆一の舟入から
木屋町三条四条間の中国人など海外観光客もここまでやってくる。
繁華街にいても、上木屋町か下木屋町を目指せば、
日本人の花見の風情が残されているのだ。
もう海外観光客に任せてはおけない。
「がんこ高瀬川二条苑」の西南にあたる高瀬川一の舟入である。
「がんこ高瀬川二条苑」は角倉了以の別邸跡(250坪)に営業しているである。
ここの庭は広い、そして、鴨川、みそそぎ川から取水された水がその庭を流れているので有名である。取水の水は高瀬川に流れているので、高瀬川の源流となる。
秀吉の朝鮮出兵が始まった頃のこと。京の一商人・角倉了以は朱印船貿易を終えた帰途、備前・吉井川で人生を変える出来事に遭遇した。
了以は、舟子が「ほ~ いほい、ほ~いほい」と掛け声を上げながら、上流へ舟をひっぱり上げる光景を目撃したのだ。
しかし戦国の世はまだ収まらず、了以の思い は子の素庵を巻き込み家業もなげうった末、ようやく十三年後に達成される。さらに父子は高瀬川開削舟運にも着手すると、豪商へとまっしぐらに進ん でいく。
そうして「京都の水運の父」として歴史に名を残すこととなる。
高瀬川沿いの桜並木は、一の舟入に始まり五条通まで延々と続くが、その随所に歴史に名を残す者たちの記念碑に出あう。一の舟入から南へ下ると、桂小五郎、幾松に縁の「料亭幾松」がある。その向かいの高瀬川の西縁に二つの石碑が建つ。
左に「大村益次郎卿遭難之碑」と、右に「佐久間象山先生遭難之碑」
木屋町通りには幕末まで各藩邸があったせいか、維新に向けての間、著名な人物の遭難が数多くありました。刺客に狙われる場所だったのですね。妙に桜が似合う場所だと感じさせられる。
御池通を経て、三条通までの間の散策に気忙しさはありません。高瀬川沿いのカフェテラスで休憩するもよし、川縁の桜の木陰に佇むもよし。街中にあって、どこかしら落ち着ける場所である。
木屋町通上から下まで、柳の新芽とソメイヨシノは同じようにあるのだが・・・
それぞれに趣が違う。