感動満開頃・毘沙門堂の般若桜
今、毘沙門堂に行くとよい
山科駅から旧お屋敷町の坂を上り、疎水縁に着いた。
一燈園さんのボランティアで植えられた菜の花が、桜と疎水の間で生き生きとしていた。
もうひとのぼりである。
毘沙門堂には下見で2度やってきたから、今日で3回目である。
ぴったしの満開見頃の朝である。桜色一面の境内にモミジの新芽も瑞々しく心地よい。
長い石段を上ると、毘沙門天の大提灯が見えてくる。仁王門にかかる提灯で、
両脇から仁王像がこちらを睨みつけている。
正面が本堂で、右手に手水舎・一言経蔵・高台弁財天がある。
経蔵前の五分咲きの紅しだれの中に入らせてもらい、しだれのシャワーを浴び、
枝垂れ越しに本堂の甍を写真に撮って見た。
本堂左手を宸殿(新書院)前に向かう通路を行くと、
桜一色の境内に椿を見つけた。
山手高台にあるせいか、椿はまだまだ元気に咲いていた。
山王社などが祀られる祠に椿の花が供えられている。
僧侶のはからいであると思われるが、心憎い。
お人柄が偲ばれると思う。
見えてきた。宸殿前の枝垂桜が。霊殿から眺めてみた。
宸殿と勅使門の間となる前庭にどっしりと据えられてい。
この枝垂桜が「般若桜」と呼ばれる。
樹齢百五十年を超える巨木でその枝張りは30メートルにおよぶという。
毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、高い寺格と鄙びた山寺の風情を伝える古刹である。
ご本尊に京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることからこの名がある。創建は大宝三年(703)文武天皇の勅願で僧行基によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺といった。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。伝教大師が唐より将来された鎮将夜叉法という行法は、天台五箇大法のひとつとして当門跡だけに伝わる秘法である。(毘沙門堂HPより転載)
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