「ひいなあそび」の道具とは・・・女人守護の市比賣神社
雪の雛祭をゆく
桃の節句の雛祭の今朝、雪が舞ってきた。場所は河原町五条を下った一筋目を西に入ったところである。
市比賣さんの「ひいなまつり(午後1時~4時)」は、十二単の着付け実演に「ひと雛」が勢ぞろいすることで知られる。
大きなひな壇が用意され、 五人囃子の雅楽に合わせ、三人官女の舞も披露され、
そして、投扇興など平安貴族の優雅な遊びも紹介されるから、読み物だけでは満足できない方には打ってつけである。
朝に参詣した小生の興味は、境内に飾られる雛人形などの飾り物である。
本殿にお参りしようとすると、一転して曇天から晴れ間が現れ、舞っていた雪もたちどころに消えた。
辺りは明るくなり、まさに歳時日和に変わる。流石に、女人守護・厄除けの絵馬が数多く奉納されている。
さて、女人守護の名高い「市比賣神社」のお宝を拝見することに・・・・・
雛人形の飾りが部屋を覆い尽くし、活けられた生花には、桃に柳が見られる。
種々飾られている中で、特に2点の品が気になった。
「天児人形」と記され、「あまがつ」と振り仮名されているものである。
見るからに身代わりの人形である。
三省堂大辞林によると、「古代、祓(はらえ)に際して幼児のかたわらに置き、形代(かたしろ)として凶事を移し負わせた人形。後世は練絹(ねりぎぬ)で縫い綿を入れて、幼児のはうような形に作り、幼児の枕頭においてお守りとした這子(ほうこ)をいうようになった。孺形(じゆぎよう)。 」と、ある。
午後からの祭典のリハーサルか、神官が本殿内で、カガシの様な天児の代用品を手に祭礼の作法を行われていた。
天児は平安時代から伝わる形代から進歩したもので、十文字形に作った棒の上部に、きれでくるんだ顔をつけた小児の祓いに用いられたもので、日本の人形の祖型の一つであるという。
今日の皇室でも小石丸の絹を縫って天児人形をつくっているというが、罪穢を天児が形代として引き被ってくれると考えられてきた歴史が脈々と連なっているからなのだろう。
「流し雛」や「撫物」(なでもの)に相通ずるものを感じた。
あとひとつは「桃かざし」である。三方に載せられお供えされていた。
孝明天皇の妃、英照皇太后(えいしょう こうたいごう/1833~1897年)が、ひな祭りの宵に、桃と柳の枝をお風呂に浮かべて邪気払いをされた故事に因んだものであるという。
「桃かざし」に肖った「桃挿華簪守り(ももかざしまもり)」というお守りが授与されていた。
生の桃花と柳の枝でこさえられている。持ち帰り風呂に浮かべるよう説明を受けた。
千円を納めて授与されると、「ひいなまつり」の参観券がいただける。
「人雛」を眺め、「貝合わせ」や「投扇興」などにも参加し教えて貰えるから、随分とお得である。
市中にあり手狭な神社ではあるが、創建は、桓武天皇の御代延暦十四年(七九五年)に遡る歴史を持つ。
京都の左右両市場の守護神として、当時の左大臣藤原冬嗣公が両市社領内の堀川の西、七条の北(現在の西本願寺)に坊弐町をかこい、勅を奉じて勧請された社と伝わる。
天正十九年(一五九一年)豊臣秀吉の時代、現在の地に移転鎮座されたが、皇后祈願所として皇室ゆかりの由緒を持つ誉れある神社である。
お守りにはこんなものまであったので、授かってきた。
このあと、「宝鏡寺 春の人形展」へと向かう。
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