観梅 清凉寺の軒端梅
梅に鶯、文人に恋、我には餅を
嵯峨釈迦堂の空 広くて高い青がよい
吸い込む空気がやや緩やかで 小鳥もさえずり
松の緑を背景に 梅の花がやさしく咲いた
ここは薄紅の一重 そちらは紅の八重
威張らず健気に 恥じらっている
あちらで 可憐に そっと誇らしげに咲いている五弁は白い
風に誘われて 大きな本殿の甍の波が揺らいだかに見えた
留蓋の獅子が 背をさげ尻をあげ 屋根の先に踏ん張る
後ろ足を跳ね上げる獅子や鬼瓦は こちらを睨みつけている
目を逸らすが 魔除けにたじろぐほどの悪行に心当たりはない
背後の仁王門が 後ずさりを許さないように聳え立つ
前庭に 匂い発つ梅の香が 微かに鼻をくすぐった
お釈迦さんか 深紅の軒端梅(のきばのうめ)か いずれのお呼びだろうか
弥生三月 嵯峨野の里に 春は来ぬ
嵯峨釈迦堂本堂に向かって右手(東)に進み、阿弥陀堂の前を通り越すと、痛々しいほどに年老い、横たわるように枝を伸ばした梅の木がある。これが「軒端梅」である。
昨今は僅かな花しか着けられないので、境内に香り咲く若木に衆目を奪われている。
然しながら、その深い紅色に染まる花を見れば、その妖しげな艶やかさの虜に為らざるを得ない。その深紅の紅梅は五弁から九弁の花びらである。そして花弁は、樹齢360年と伝える木々とは思えない初々しさを放っている。他の紅梅とは一線を画するのではないだろうか。
本堂の軒端の縁より眺める満開の紅梅がいかほどだったかと、今は思い浮かべるしか手はないが、往時は一世風靡していたに違いない。
その深紅の妖艶さが、恋多き女性和泉式部を彷彿とさせたことからも、「軒端梅」と呼ばれるようになったのだろう。
和泉式部が手植えし愛でていた「軒端梅」は白い。その白梅は植え継がれ、現在は洛東神楽岡にある「東北院」に咲き、屋根の高さにおよぶ枝振りに白い花をつけ、辺りに仄かな香りを漂わせる。
和泉式部の「軒端梅」の物語は、謡曲「東北」で能舞されている。
諸国行脚の旅の僧が、東国より辿り着いたところが東北院で、僧が見事に咲いている白梅を観ていると女性が現れ、和泉式部が植えた「軒端の梅」の謂れを語り、自分は梅の霊であると伝えて花の中に消えてゆく。
僧が法華経を唱えると、美しい姿の和泉式部が現れ昔の物語を話し舞を舞う。やがて舞い終わり、式部が別れを告げ方丈に消えると、僧は目覚める。その場には梅の香が漂っていたという脚色である。
梅に縁の人物と言えば、男は菅原道真で白梅、女は和泉式部で紅梅に代表されると、小生は言い切ってしまいたい。
和泉式部が愛でたのは白梅の「軒端梅」だが、その生き方は嵯峨釈迦堂の「軒端梅」の紅梅の様ではあるまいか。
和泉守橘道貞と結婚し、別れて冷泉天皇の皇子兄弟、為尊(ためたか)親王、敦道(あつみち)親王と恋愛し、その情熱的な恋愛体験を綴ったのが「和泉式部集」「和泉式部日記」などである。
両親王が亡くなった後、藤原道長の娘、一条天皇中宮彰子に仕え、藤原道長の家司である藤原保昌と再婚、恋に生涯を終えた女性である。和泉式部は燃えるように恋に生きた歌を数多く残している。
華やかで、妖しく艶やかな梅は珍しい。それが嵯峨釈迦堂の「軒端梅」である。
いつからか、老木に立て札がなくなっていた。今年は何輪咲いたのだろうか。
忘れ去られぬように書き留めておく。
対照的に、鈴なりに匂い咲かせているのは、阿弥陀堂前から経堂付近に咲く紅梅と白梅である。梅の精がまるで蘇ったようである。
その精は多宝塔の前にも花を咲かせ、左に紅梅、右に白梅と行儀よく並んでいる。
法然上人の銅像も花匂う境内を見渡し、満足げな表情に見えた。
聖徳太子堂に向かおうとすると、赤い毛氈が掛けられた床几が出されていた。餅の焦げた香ばしい匂いにそそられ、境内の茶店「大文字屋」さんに入り一服することに。早速に「あぶり餅」を注文する。
今宮さんのあぶり餅との食べ比べである。今宮さんより餅が長く大きくて、同じ白味噌ダレだが、味も値段にも違いがある。互角としたいが、小生の軍配は今宮さんにあげる。
ご近所への手土産のことを考え出す。あぶり餅は家で食べても美味くはない。そうかといって嵐山の観光土産というわけにはいかない。
仁王門を出て左手に行くと、すぐに豆腐の森嘉さんがある。も少し先なら清滝道に京菓子の甘春堂さんもある。
義理で形だけの土産は有難迷惑であるし、お返しに気を使う手土産も困ったものである。気負わずにいて、いいものを気軽にもらっていただけるのが良い。
森嘉さんの白豆腐とひろうす、甘春堂さんで桃の花の落雁を買って持ち帰ることに決めた。
梅の見頃の時期も終盤を迎えだすと、お釈迦さんの命日が近い。寺院では涅槃図の公開が始まる。小生は嵯峨釈迦堂の涅槃会を知らないし、3月15日(旧暦2月15日)の「お松明式」も写真でしか知らない。
本堂内はこの日無料公開され、三国伝来の御本尊「国宝釈迦如来立像」や「大涅槃図」などが参拝自由となる。また、境内の狂言堂では「嵯峨狂言」も見られるようである。
夕刻より涅槃会の法要が営まれ、午後8時半の「お松明式」には、高さ21丈の三本の大松明が立てられ、お釈迦様が荼毘に付された様にあやかり、豪壮な火柱を立ち上らせるようだ。
是非、今年は涅槃会に訪れたい。
和泉式部日記 現代語訳
http://sankouan.sub.jp/izumisikibunikki-yaku.htm
涅槃会お松明式・大念仏狂言
http://www.kyoto-web.com/top/saiji/march/01.html