観梅 城南宮の枝垂れ梅
梅の香のする桜花が柳の枝に咲いているそうな
梅が香を 桜の花に匂わせて 柳の枝に 咲かせてしがな
後拾遺和歌集(1086年奏覧)に中原致時(むねとき)の詠んだ和歌を見つけた。
「梅のよい香りを美しい桜の花に匂わせて、しなやかな柳の枝に咲かせたいものだ。」
という、望ましいものをひとところに集める、現実にはできない理想を詠んだものである。
山桜を観賞していた時代のことであるから、枝垂れ桜の姿を見れば、どう詠むのであろうか。
柳の枝に桜を咲かせたのだから、よい匂いのする梅をもっと匂わせたいと言うのだろうか。
もしそう言うなら、小生は城南宮に連れて行き、「これでいかがなものかな」と、続けて、「お気に召すのは、この枝垂れの紅か、はたまた白か、いずれなるや」と、問うてみたい。
おそらく、「よくぞ咲かせし 褒美をつかわす」と、その神苑でまず宴を催すだろう。
大宮人が夢見た紅白の美しい枝垂れの花見ができるのはここしかない。
梅は古来、その香りを鑑賞する花であり、山桜はその姿を鑑賞する花であった。その両方を一度に楽しめるなどとは欲張ったことで、できそうにない理想だったのである。
その理想の場に案内したからには、更に褒美として、高官の職につけてくれるであろう。
例年3月初旬には、「春の山」とよばれる庭園に、約150本の紅白の枝垂れ梅が狂喜乱舞している。
枝垂れ桜より開花が一ヶ月早い枝垂れ梅は、他の花梅同様に2月の中旬には蕾が開きだす。その頃より約一ヶ月間、城南宮「源氏物語 花の庭」では「しだれ梅と椿まつり」が開催されている。
期間中の定時に行けば、神職がこの庭の案内と説明をしてくださるから、時間を合わさない手はない。
城南宮といえば、平安京の表玄関にあたる南の守護神として創建され、「方除の大社」「曲水の宴」「熊野詣出立の地」「鳥羽伏見の戦い 薩摩藩の陣」などで知られる。
平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮を造営し院政を開始、鳥羽の地は白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となり副都心の賑わいのあったところである。
城南離宮を作った白河上皇は、「源氏物語」の主人公光源氏の邸宅であった「六条院」にならって、四季の花々が咲く庭の造営に取り組み、現在の「神苑 源氏物語 花の庭」に受け継がれている。
その庭は、城南宮を取り囲むように作庭されており、「春の山」「平安の庭」を経て、参道を渡り「室町の庭」「桃山の庭」「城南離宮の庭」と連なっている。
城南宮を東西に抜ける参道を「春の山」に向かい、東の鳥居から入ると、唐渡天満宮の紅梅白梅がまず迎えてくれる。天満宮の背後にも梅林が見える。その梅林は「平安の庭」のものである。ひよどりやメジロが梅の咲く花枝を渡っているのに気づく。
参道沿いの露天には梅の苗木が並べられ、日向の石積みに庭木屋が腰掛け、商いを待っている姿もある。歩を進めると、城南宮の拝殿前に「しだれ梅と椿まつり」の案内看板が立てられていた。
逸る気を抑え入場の受付を済ませ順路を進んだ。
「オッウー」
驚きである 。餅花のツリーかと思った。その枝垂れ具合は到底梅とは思えなった。枝垂れの様子と花のつきようは遠目に枝垂れ桜かとも思う。
近づいてゆくと、花の様子がだんだんと分かってくる。明らかに桜ではない。
間違いなく梅である。甘酸っぱい香りが鼻をくすぐってくる。花びらは一重も、八重もあった。
紅白入り乱れて、まるで花のシャワーのように降り注いでいるようにも見える。
築山になっている高低差のある梅林では、立つ位置によって景色が面白く変る。
目線を変えると、朝陽を受けた花弁も表情を変えてくれる。
実に楽しい時間が流れる。大宮人が観ることができなかった匂いと景色を感じている瞬間である。
庭園の低いところには春の七草畑があり、芹の香りを感じながら、見上げるような梅林の光景にも癒された。
順路を平安の庭の方に取ると、椿の花が土手に落ちている。
次には300本の椿の花か待っているよと、知らせる合図のように見える。
同時に枝垂れ梅が椿の林の間にだんだんと遠のいていく。そして、城南宮本殿の真後ろを過ぎた。
数個の椿の花を見、平安の庭の梅を見物し、室町の庭の梅越しに唐渡天満宮の梅を見るアングルも見つけた。勿論なかなかの観梅であったし、庭園鑑賞であった。
しかし、「春の山」でのあの驚きと華やいだ気持ちが他の印象を駆逐してしまうのである。
どうやら小生は城南宮の枝垂れ梅の中毒にかかったようである。
この日順路を逆進し「春の山」に戻り、再度紅白のシャワーを浴びた。
「春の山」の枝垂れ梅は若木であるから、これから先も前途洋洋である。
大豊神社、地主神社、車折神社、智恵光院、二条城、長岡天満宮、府立植物園などなどと、立派な枝垂れ梅も観てきたが、城南宮の枝垂れ梅の梅林に適うものはない。