芋名月と月見だんこ
片月見に成らぬよう 九月十五夜に十月十三夜を
昨今、月の土地1200坪が2700円で販売されていると聞く。
すぐに詐欺商法と思ってしまうのは凡人の小生だが、宇宙条約を根拠に日本人が6万5千人、全世界で130万人が月の土地のオーナーになっているという。
一体所有権や占有権の争いは何処の誰が裁くのだろうか。
さて、小生は月の土地がネットで販売される時代であっても、月に手を合わせる風情を大事にして暮らしたい。秋といえば観月も楽しみの一つであるし、この時期「中秋の名月」「十三夜」の文字が飛び交うと、十五夜の中秋の満月の日も気になり、つい月見について調べてしまう。
「万葉集」に
”天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月読の 持てる変若水(おちみず) い取り来て 君に奉りて 変若(おち)得しむもの”
との歌がある。
つまり、『天の橋がもっと長いなら、高山がもっと高いなら、月の神の持っている若返りの水を取ってきて、あなたにさしあげて若返らせてあげるのに』と。
また、「竹取物語」では、かぐや姫が、養父母に不老不死といわれる月よりの薬を残して行く。
これら、「月には不老不死あるいは甦りの力がある」という思想は、中国、日本に留まらず、古くから世界各地にもある。
日本では五穀豊饒のシンボルである望月(まんげつ/満月)を拝む信仰は更に古くよりあり、その月あかりには神霊が宿っているとさえ考えられ、とりわけ実りの秋には祝祭行事が催されていた。
平安時代に渡来した観月の流れとは別に、農耕儀礼の意味が強かったと言われている。
旧暦8月の十五夜を「芋名月」と呼び、後(のち)の名月である十三夜(旧暦9月)を「豆名月」「栗名月」と呼んでいるところにも伺える。
お月見の絵図といえば、ススキの飾りに団子の供物の図だが、ススキは稲穂で団子は里芋で飾られたものである。
季節のススキとともに萩の花や秋の七草を飾ったり、団子とともに季節の果実や新野菜が供えられるところは頷ける点である。
団子になる前には、蒸した皮付きの里芋が三方に盛られ供えられていたという。
これで、お月見団子が里芋を模していることがお解りいただけるだろう。
里芋は米が伝来するまでの日本の主要穀物である。
これを捧げ満月に感謝し、豊作を祈願したものである。
この時期の京都の名月鑑賞は、平安朝を思い起こさせる雅なものが殆どである。
「奈良・興福寺猿沢の池」、「大津・石山寺」と並ぶ日本三大名月鑑賞地の一つである「嵯峨・大覚寺大沢の池」では、龍頭船・鷁首(げきしゅ)船を浮かべて、琴の調べで月を愛(め)でることができる。
十五夜に限らず、宵待月(よいまちづき)、十六夜(いざよい)、立待月(たちまちづき/十七夜)、居待月(いまちづき/十八夜)、寝待月(ねまちづき/十九夜)、果ては月も夜更けまで出なくなってしまう更待月(ふけまちづき/二十夜)とまで呼びならわし、先人達は毎夜毎夜に楽しむ術を心得ていたものだ。
秋の澄んだ空に昇る満月を鑑賞する行事は平安朝の時代にはじまり、江戸時代に至って庶民の風習として定着していった。
神秘的な力を持つ満月に願いを込めて、風流を尊ぶ季節の象徴として、詩歌を詠み盃を交わし、観月の宴を最初に催したのは、醍醐天皇で、西暦919年のことである。この宴が十三夜の月見の始りといわれている。
月の権利書を手にするか、月に祈りを捧げて団子を手にするか、いずれになさいますか。
中秋の名月 (国立天文台・天文ニュース)
https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2018/09-topics03.html
月の土地紹介 (Lunar Embassy Japan co., ltd.)
http://www.lunarembassy.jp/osusume/osusume.htm?OVRAW=%E3%81%8A%E6%9C%88%E8%A6%8B&OVKEY=%E6%9C%88%E8%A6%8B&OVMTC=standard