学生街の喫茶店
シチュエーション別喫茶店選択法
今月発売している京都CF!2月号は「京都人が愛してやまない、喫茶店」が特集である。
ドンゴロスの生地目が背景全面に使われている。この表紙を見ただけで中の味わい、コクが伝わってくる。
書店に居並ぶ表紙の顔を見比べてみたが、知的文化度も、親密度も、スノッブさも兼ね備えた品格で群を抜いていた。
更に、漂い出ているその香りに誘われて、ページを繰りたくなってくるのだ。
我田引水といわれようとも、アートディレクターやデザイナースタッフに拍手を送りたい。久々に賞賛に値する出来映えである。是非お買い求めいただきたい。
取材されている京都の喫茶店と同様に、安らぎと憩いを貰え、見ているだけでも癒されるというものだ。
小生が青春の頃、喫茶店の全盛期でカフェとは呼ばれていなかった。
新しいガールフレンドが出来ると、時代の一番先端を行くオープンして間もない喫茶店に連れて行くのが定石であった。
喫茶の流行が、Jazz喫茶のシロハウス・シアンクレール・ダムハウスなどからロック喫茶へ移行していく頃である。
PALETTE・縄文・ジュジュ・MAP・POPEYE・きっさてん・飢餓・噴(ふん)・STUDY ROOM・JAM HOUSEなど、ロック喫茶とは呼んではいたが、ロックを聞き語るところで、“喫茶を楽しむ”ところではなかったかも知れない。
そして、アンノン色の強い子なら、ZIGZAG・太郎などにしていたように記憶する。
40年も昔のことであるから、あいまいなところは寛大に容赦願いたい。
2回目のデートの約束が取れたら、築地・夜の窓・裏窓・六曜舎・フランソワ喫茶室。
3回目以降の待ち合わせは、イノダコーヒーでまったりしてから、LiveやConcertに出掛けるのだ。丁度ゴーゴークラブからLiveHoueeに歴史が変わろうとしていた。
京都発のAdame&Eveの洋陶器がブームを呼び日本中を席巻していた。全国の若者が京都を訪れ、チェリシュの「なのにあなたは京都へゆくの」という唄までヒットする有様だった。
折角の隠れ家としていた喫茶店も「平凡パンチ」や「アンアン」で紹介されるものだから、行き場所が直になくなるのである。
戦後、京都が最もダイナミズムを持っていた時代である。
今月の喫茶特集記事では、その前後から1990年頃までの喫茶店が登場している。
取材のできる喫茶店なのだから現存する喫茶店に限定せざるを得ないのは当然である。
然しながら、時代の波に消えていった喫茶店についても、語り部のいるうちに取材し、その資料と喫茶店が織り成していた文化を記録しておいて貰いたい。
流行廃りがある中で時代の流行色の強い喫茶は致し方がないが、スタンダードな純喫茶などが時代の波に消えていくのは寂しいものだ。
ノスタルジーに浸りたく再度訪れてみようとページを繰ったが、「フタバヤ」「開花」「クローバー」「裏窓」「みゅーず」などの名前が見当たらなかった。
気になって足を向けてみたがそれらは跡形もなく、「夜の窓」は見つかったものの姿が変わりすぎていた。
その足で西木屋町四条を下ると、どん突きが漬物の「村上重」であるが、手前に映画人の集まる「山家料理なるせ」の文字が見えた。健在で良かった。
そして、目指すはその向かい側だ。
あった。「フランソア喫茶室」。
昭和9年開業のここが、築地と並び京都で最古の純喫茶ということになる。
あらためて、喫茶店特集をにんまりとしながら眺めてみたい。