街場にダイナミズムをもたらしたもの
世界の都市は地下鉄・地下街によって、
歴史や文化を守って近代化を達成した。
で、やっと今、東西線な、京都なのである。
第八回 2008年5月
京都という町は、掘れば掘るほどややこしいものが出てきて、「やれ、平安時代の…何々」やら「これって、何々の宴の残骸?」てなぐあいになったとたんに掘るのはやめ〜! ということで「地下鉄なんてものは永遠に出来ない」と、まるでサイバーシティな大阪・名古屋の地下鉄&地下街に出かける度に、親から聞かせられていた保伊戸少年。
それから30年以上、京都も大阪・名古屋とまではいかないにしても、全国レベルでは結構地下が発達した都市となってきた(ような気がする)。パリやロンドン、はたまたニューヨークの発展は地下鉄抜きでは語れないし、語れないからこそ、京都は近代において地下鉄&地下街が造れないというジレンマにさいなまれていた。そう、地下を近代化させることで町家のみならず、道すがら日本という国を感じさせる京の街並みをもっと残せたはずである。パリ、ロンドン、ニューヨークはもちろん、大阪・東京もそれに成功していると行って過言ではない。そう、地下に手をつけられなかったことが、文化を残しながら近代的な都市計画を描くことが出来なかった京都の20世紀の悲劇だったとは考えられないだろうか。
今まで、バス停として通過するのがオチだった場所に駅が出来ることによって新しい光があたり、京都の歴史と文化が蘇り、かつ新しい店や街の様ができてくる。それが今号の特集でよくわかる。どう考えても今の京都の動脈は四条通である。が、四条通はトラフィックの分散が激しく、要ではあっても個々の街の連動性が点から線へとなりにくいという弱点がある。ところが、東西線が走る三条通+御池通は、地下鉄が歴史街道を結びつけるというか、観光資源と新しい店や建物の結びつきが、真新しい街を形成するダイナミズムを持っていると感じるのは、言い過ぎだろうか?
浜大津から京津線で山科へ。それだけで、この東西線が現代の東海道だということが実感できる。蹴上には、村野藤吾による都ホテルが「ウェスティン都」になって、なんと新日本プロレスがディナーショー形式の大会を開いているし(そうそう、中邑選手や天山選手、中西選手も京都出身でしたね)、南禅寺や瓢亭へのアクセスもこの駅からすぐ。振り向き観音の永観堂も。東山では平安神宮〜一澤信三郎帆布というのが定番のコース(もちろん白川を眺め、古川町商店街を抜ける)。市役所前では、寺町を上ル下ルするもよし、御幸町にはコム・デ・ギャルソンもある。そして、「イル・ランポ」も「ポキート」もここが最寄りの駅だ。
御池には国際マンガミュージアムがある。ここで忘れていけないのが、市役所前から二条駅までは御池通に駅があるが、この区間の2本南の東西の通、姉小路通と三条通、そして北の二条通、押小路通が老舗と今どき店の混交ストリートとして目が離せないことだ。今回の特集でクローズアップした店の多くが、このポイントの店である。
チャリンコで京の碁盤の目を縦横無尽…、もいいけれど、東西線は前述の平安神宮、そして御所や二条城、はたまた六角堂(の東に本誌編集部はあります)などなど、歴史的建造物と今という時代を繋ぐ、重要なトラフィックであり、使いこなすほどに遊びも仕事もダイナミズムが生まれてくるそんな交通機関というか、手段である。そう、なぜ東西線なのか? これに気がついている京都人は意外に少ない。