道すがらの焼肉店が美味い
京都って、魚の街では決してない。
等身大の京都を知るには、
漬け物、ぶぶ漬け…
いやいや、焼肉屋の暖簾をくぐるのが一番。
第六回 2008年4月
京都で何を食べるのか? という問いに関して、京野菜やぶぶ漬けというのも、まぁよろしいもんやとは思う。そういった記号に誰もが期待して京都にやってくるのだし、実際に京都の人間は毎日、本当に毎日そういったものを食べて生きている。
せわしなく、でもそれなりに、そこそこの暮らしを愉しんでいる。そんな侘びや寂びといった粋な暮らしが良いのか悪いのか分からないが、どうもそれが京都の人間の性分であり、華やかに見える京料理とて、かなりの智恵と工夫によってできあがった、まさに渋ちんな料理である。「つけもん」も、美味しいと言われればそれまでであるが、採れた野菜を日持ちさせ、愉しむ智恵でしかない。だが、生野菜では何ともしがたいが、漬け物になると飯のおかずになるわ、酒の肴になるわ、はたまたお茶(ぶぶ)とも相性がいい。京都の人間はこんなようなものを「ようでけてる」という。そう、漬け物は贈答品にまでなる、よくできたもんなのである。まぁ内陸盆地の京都であるから、野菜は食べるものといえば一番のものであった。しかし、魚は無いモノねだり。一塩ものをありがたがっていただくのが本当に幸せであり、今もぐじや鯖はそこそこの贅沢ものである。
ここまで書いて(というか読んで)、「はは〜ん」と思ったアナタは偉い。そう、京都では鶏と牛は贅沢なものでもなんでもなく、当たり前のように食べることのできる美味しいものだったのである。確かに仏教の名のもとに殺生は良しとはされていなかったのも事実ではある。がしかし、丹波・但馬、近江、上野・松阪という日本有数の、いや世界最高峰の牛肉生産地に囲まれた京都は、魚以上に流通や加工が可能だった最高の蛋白が、人間を狡猾にさせる「美食の最前線」を、常に担ってきたのだ。
「京料理といえば刺身」と思っているアナタ。確かに明石の鯛の、最高のものは京都にやってくる。しかしそれは氷や冷蔵庫といったものである程度の保存が利くようになったここ100年くらいの話である。それ以前から、肉は最高の具材として京の都でもてなされてきた。
だからというわけではないが、京都にはイケズで口やかましい京都人の口を黙らせる、美味い焼肉店がやたらめったらと多い。しかもそれが画一的ではなく、「ようこんだけ多種多様な…」と思わせるオリジナリティを持っているからたまらない。
ニンニクの効いたタレやおろしポン酢で愉しませてくれる旦那好みな店から、最高のホルモンを「ワンコインでお釣りは当たり前」な値段で出す店まで、どこにいってもそこなりのバリューがあるから面白い。
「京都には、道すがらに日本を感じさせるもの、季節を感じさせるものがそこここにある」というのも本当であるが、道すがらに美味い肉を食べさせてくれる店が、そこここにあるということも、決して忘れないでいて欲しい。