街はいい音でいっぱい
街の中には、
いい音がいっぱいある。
モニターから離れ、街に出よう。
第三回 2007年12月号
酒場特集なる物を、いったい何冊手がけてきたのだろうか…。
たかだか20年弱の雑誌編集者のキャリアで何を言う…という方もおられると思うが、街と添い寝をするように雑誌づくりをしてきた僕にとって、酒場はネタ以上に意味を持つ。酒場は人と人を繋ぐメディアでもあり、言葉を重ねていく意味の集積回路として、監獄ばりに「戻りたくなくても戻ってしまう」、まさにクラインのツボである。
酒場には酒があるから出かけるのではない。なにか禅問答のようだが、僕にとっては酒以上に人や音との共振(または反抗)が、大きな意味を持っている(ように思う)。
それは決してサウンドバーみたいな、いかにもな店を言うのではない。堺町錦西入ルの「風景」のように居酒屋然とした店であっても、大将が趣味で貼っているジョン・レノンのポスターなんかに客もビートを合わせてくるのはとても微笑ましいし、そういった店は客の年齢層も自然と幅が出てくるから面白い。もちろん懐かし系の音が流れてはいるけれど、酒・飯・音の3拍子の店は、古くささを感じさせないというか、時代感覚のズレを感じさせないから不思議である。
もちろん木屋町四条下ルの「KAZABANA(P.23)」のように、大きなJBLでキモチイイほどいい音を聴かせてくれる(それも会話に全く不自由しない、いわばサイレントなサウンドで)店のご機嫌さは何ものにも代え難い。店主の児島さんは「オーディオなんてお金かけだしたらキリがない」とおっしゃるが、そこそこ(といってもたいがいなのだが)のセンスのよさこそ京都の凄みだということは、こういった店が教えてくれる。逆説的になるが、祇園の「フィンランディア」のように、無音であることが最高のBGMであり、そういった店で音楽好き同士が出逢って結構盛り上がったりするのが街場の面白さというものなんだろう。
街はいい音でいっぱい
そんなオチかい…と言われそうだが、僕がつくってきた雑誌のなかでも、気に入っている特集タイトルひとつだ。
まだDJをしていた頃の竹村延和や、今年はYMOのバックメンバーで大活躍の高野寛、当時はUFOのメンバーだった松浦俊夫なんかと関西のレコ店や音酒場を回ってつくった懐かしい特集だが、その時に思ったのがオーディオの前で腕組みして音楽聴いていても(結構好きなんだが…)しかたがない、ということ。街場の店には何かしらのビート感があって、現場でかかっている音楽とは関係なしに、帰納的にさまざまな音楽が頭の中で鳴り出す(酒で頭がおかしくなったんじゃないの? と思ったあなたは、正しいかもしれません)ということ。
焼き肉屋ではなんとなくブルースが似合うし、沖縄音楽を聴きながら飲む泡盛はなんやかんや言っても美味しい。スペインバルはスムースジャズじゃだめで、ブンチャカブンチャカいってないと気分がのらない…。そういう感覚こそが何ものにも変えられない、街的なセンスというものだ。
音を求めて、酒を楽しみに…街の中へでることは、決して絶望の淵をさまようことではない。さぁ、モニターから離れ、街に出よう!