祗園枝垂れ桜の実家を訪ね、筍ずしを食べる / 地蔵禅院
昼食は・・・京都府綴喜郡井手町にある「地蔵禅院」の奉仕団手作りの「筍ずし」を買い求め、持ち帰りいただいた。
いつになったら、筍料理屋に行けるのだろ。兎に角予約を入れないとね。
すると、善峰寺で桜見て、錦水亭となるか、これだと去年と一緒だな・・・。
さてさて、「地蔵禅院の枝垂れ桜」である。
菜の花と鐘楼を入れるのが、お決まりのアングルだろう。
桜の写真集では、このフレームが採用されているが、やはり良い。
実は、人に親しまれ都会に暮らす「祗園枝垂れ桜」と、山寺に暮らすこの「地蔵 禅院枝垂れ桜」の親木は同じもので、人で言うと従兄弟のような関係らしい。祗園枝垂れ桜の父は先代の地蔵禅院枝垂桜より株分けされたものであるとか。
つまり、この山寺が「祗園枝垂れ桜」の実家なのである。更にその本家筋に当たる親木が平野神社の祇園御祖桜で、更に2世代ほど古い桜木というから連綿と受け継がれた京都枝垂れ桜の歴史に感じ入る。(本家平野神社の祇園御祖桜)
高台から見下ろす風景は広がりパノラマ、地蔵禅院の境内地であっただろう周辺の畑地にも桜や桃の花が咲き、更にその外周は竹林にみかん畑が続いている。
CLICKすると、別画像で大きく見られます。
京都一の花見の名所としてガイドブックのトップを飾る円山公園の「祗園枝垂れ桜」。
公園の入り口には露店が並び、桜の下にはブルーシートが敷かれ、夜桜を楽しむ人々でごった返す。
一方の「地蔵禅院枝垂れ桜」は、流れ来る光の風に悠然と棚引き、日没には闇に隠れ、里の灯りを眺めている。
地蔵禅院メモ /
地蔵禅院
京都南部の井手町にある地蔵禅院は「山背古道(やましろこどう)」という古代の「奈良街道」のほぼ中央部に位置する上井手の小高い山間に建っている。
その禅院の鐘楼の傍に、京都府指定天然記念物 樹齢約270年の枝垂れ桜がある。
花見で想像する群生ではなく境内とその近くに数本あるだけである。境内裏山の土手に植林された桜は、将来が楽しみなものであるが、現在は比較するとまだ幼い。
境内の老木の風格は格別であり、長い歳月の間山城を見守ってきた貫禄を備え、秘かに語り合える優しさを持っている。
寺は高台に位置するので、木津川のゆったりとした流れを感じさせる南山城の長閑な田園風景も楽しめる。
地蔵院にあがるまでの玉川沿いに約500本もの桜並木が続き、その足元には山吹が咲き誇る。
山吹は奈良時代、橘諸兄公によって植えられたと伝えわられ、古くから歌人に親しまれた地である。
地蔵禅院
京都府綴喜郡井手町大字井手小字東垣内16
0774-82-6168 (お問合せ窓口 井手町産業課 )
開園時間 9時~18時
(種類) シダレザクラ、ヒガンザクラ、ヤエザクラ
(本数)30本
(絶景ポイント)南山城一望の眺めを背景にした枝垂れ桜
玉津岡神社
祭神は下照比賣命一柱だけであったが、周辺の五社を合祀して六柱となった。天神社には下照比賣命と味耜高彦根命が祀られていたので、下照比賣命は二重に祀られたことになる。
古くは椋本神社とか八王子社とか呼ばれていた。
嘉吉元年(1441)の興福寺の文書には、椋本天神の名で記され、由緒を欽明天皇元年に下照比売命が兎手玉津岡に降臨し、天平三年(731)に橘諸兄が下津磐根に遷座、文応元年(1260)現在地に遷座したとする。
駅から神社までの道筋に、玉津岡神社への案内板が所々にあり、便利な町。東側に北からつながる山隗があり、その中腹に建物が遠目にも見える。
参道途中に小野小町の墓がある。土壇上に四角の石が四個積み上げられている、これを小町塚と称している。小町の歌に、「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹の花」なる句があり、また、『山城名勝志』には、或書云、冷泉家記云、小野小町六十九歳於井手寺死 などと」記されている。
本殿と大神宮社は府指定文化財、境内には摂社が並ぶ、竈神社は石を祀る。