本能寺の変/信長が没した本能寺址の今・・・
現在の本能寺は何処にあったのか・・・堀川四条に近いところです。
京都人なら「本能寺学区」「本能寺小学校」「本能寺町」というのをご存知だろう。
寺町御池ではない。炎上した本能寺は・・・こちら
織田信長の遺骸は見当たらず、炎上した本能寺址に残ったものは、「信長左文字」の銘の入った刀剣である。
戦国武将の天下人に代々受け継がれ、大政奉還後、明治天皇に手渡され、明治天皇は、船岡山建勲神社へ奉納された。
「信長左文字」のことは・・・こちらをご覧ください。
そして
信長の遺骸は、本能寺の焼跡からは発見されていないといわれるが、阿弥陀寺の住職であった清玉(せいぎょく)上人は、天正十年(1582年)6月2日、本能寺の変を知るとすぐさま駆けつけ、信長の遺骨を持ち帰り埋葬したと伝えられている。