小五月会(こさきのまつり) / 神官・僧侶が揃って新日吉神宮の神幸祭を行う
例年5月の第2日曜に執り行われる新日吉祭(いまひえまつり)小五月会が5/11に行われる。
新日吉祭の氏子町への巡行は、神輿ではない。「鳳輦(ほうれん)」である。
出立祭/12:00~ 氏子地域巡行/13:00~
「神輿」と「鳳輦」を見れば、違いがお分かりになるだろうが、ご存知だろうか。
いずれも、神さま(御神体・御霊代)の乗物で、本社から御旅所への渡御などに使われたり、神さまの御分霊を乗せて町内を渡御する祭具である。
神輿は「輿」の文字が使われているように、「舁ぐもの」で、鳳輦は「鳳車」のことで、「輦」の文字にある「車」が基本で「曳くもの」という。
また、神輿は「神社の祠」を模したものであるから、胴の一カ所に扉があり他の三方は塞がれている。
鳳輦は全面が幕や御簾などで囲われている。
京都では、天皇を祭神としたお祭で「鳳輦」が使われ、神話にある神様を祭神としたお祭は「神輿」が使われ、両方が祀られているときは、その双方が神社にはある。
新日吉神宮は「神社」と呼ばれず、「神宮」と呼ばれている。
これは、天皇が祭神とされている神社に使用される社格の呼称である。
因みに、新日吉神宮本殿は「後白河天皇」と「大山咋神」が祭神として祀られている。
約800年の歴史があるとされる祭礼では、道中の安全を祈願し、
新日吉神宮の神官により「馬場御供の儀」で祝詞が奏上され、妙法院門跡の僧侶の「法楽の儀」で読経がある。
つまり、神仏習合時代の名残を残した祭礼が執り行われる。
≪京都府神社略記より≫ 新日吉神宮永暦元年(1160年)10月16日、後白河上皇が法住寺殿の鎮守として、皇居守護の山王七社の神々を、 比叡山東坂本の日吉大社から迎えて祀った事が創祀であり、朝廷の崇敬も厚く、小五月会(こさきのまつり)も盛大に行われた。 江戸時代の初めに、妙法院宮堯然法親王が社地を改めて造営し、更に明治30年豊 国廟復興に際し、現在地に移転した。
≪京都府神道青年会HPの京都の神社より≫
文献による新日吉神宮小五月会・・・コチラ (競馬や流鏑馬が行われていた記録/古今著聞集)
新日吉神宮
東山区東大路通七条東入ル
075(561)3769