京都者宣言

第 2 回 高見重光 TAKAMI代表取締役

京都発…。さまざまな分野で耳にするそのキャッチワード。伝統産業と呼ばれるものからハイテク企業まで、皆が冠にする。しかしそれは京都の押し売りでしかなかったり、街の現在進行形としてのリアルな話しとは全く関係なかったりする。だからこそ「遊ぼう」と語りかけるこの人間の真正直さに、誰もが感嘆し、遊ぶことの重さを感じるのである。サービス、ホスピタリティ、はたまたラグジュアリーではなく、「もてなし」「しつらい」「ふるまい」であることの粋を、「にっぽんと遊ぼう」と、この人自身が楽しんでいる。楽しんでいるからこそ、の文化の継承と発展がある。それが京都であり、TAKAMIという会社であり、高見重光という人間の凄みなのではないだろうか。

婚礼にせよ、宴席にせよ、衣裳は人を表すという大きな意味を持っています。昭和29年から「婚礼衣裳を貸しましょう」と貸衣裳業を始められた。その発想はドラスティックに、時代がデモクラティックになっていく気分をとらえた。まさにその先見はベンチャーであったと思うんです。そして今、高見さんが社長になられてからのTAKAMIもまた、衣裳を売るのではなくウエディング・ブライダルという人生最大のセレモニーをトータルに演出する企業へと転換、発展している。それは伝統や歴史といった傘の下でじっとしているのではなく、常に今の時代の「楽しみ」や「気分」を共有しながら動いていると感じるのですが。

高見 「そういうところからきたか! 会社は来年で創業85年を迎えます。基本的に僕は『企業は永遠』というのは絶対条件だと思っている。永遠=やり続ける、やり続けたい…という希望がなければアカンと思う。社長であれ社員であれ、世の中からもそう思われないといけない。だからこそ維持ではなくて、企業として攻めることをやめない。TAKAMIと僕、ということでいうと、今から25年くらい前にいた秘書が『コーポレートアイデンティティを確立させましょう』と言いだした。その時『TAKAMIのベースとなるものは何や?』と問うたら、『まずは社長自身がパーソナルアイデンティティをつくるべきだ』と返ってきた。僕自身が『押しも押されもせんような自分をつくらなあかんのと違いますか?』と。そこからやね、攻めのTAKAMIというか、今の、いや先の時代への流れを作り出すことが本当にできるようになったのは。既に60年の歴史と、呉服から貸衣裳という商売が世間で当たり前になっていた頃やったし、儲かってないわけでもなかった。でも、何かが欠けていた。自分を見つめて、会社を見つめて気がついたのは、時代の・街場の・現場のリアルな空気が読めていない、場が読みきれていない自分だった。場を読むというのは、『この人がお茶を飲む時ティースプーンはどんなスプーンを使いたがっているんだろう?』という細かなことまで読むということ。『靴はどんなん履きたいんやろう? 靴下は? 靴下履く時、イスはどんなイスに座るんだろうか…?』というところまで見えてなかったらダメ、というのが僕の言いたいこと。それは何だといえば自分が一番心地よい状態だということ。どうでもよければお客さんに勧められない。着物でありウエディングドレスでありタキシードであり…、全て同じこと。何のために着るの? 何のために結婚式にお客様をお招きするの?…ということがなかったら、全く僕の商売も僕も、発展性もなければ楽しくも何もない」

マーケティングで動いているのではなく、人という視点でブライダルをとらえられている。

高見 「やっぱり商いの原点は1対1。1×1、それが無限大であるという論理が成立しなければ僕はダメだと思う。たとえば『婚礼組数が減少してきた、さて婚礼業界はどうなんですかね?』とか『1年間に何組こなしているか?』という物の見方。これだと人ではなく、物に対しているかのような、そういうレベルでしかみられてない。でもうちは、結婚される1組のお客様をプロデュースしているのであって、何組の結婚式をやっているか? なんて考えでやっていない。そこで重要なのが、僕が考えている事と同じか、それ以上の事をスタッフ一人ひとりが理解しているか? ということ。創業者であるうちのおじいさんがよく言っていた言葉の一つに『樹人』というのがある。樹の人と書いて『じゅじん』。木を育てたり商品作りをしたりするのは簡単かもしれないが、人を育てるのは大変なんやと…。『自分の思うようになってもらおうというふうに持っていく』のがどんだけ大事か、ということを、おじいさんがしょっちゅう言っていた。『自分と同じように考え、行動できる人間が3人いたり5人いたりしたら、会社はめちゃくちゃ成長するだろう。それぐらいの事ができたら企業はすごく大きくなる』と語っていた。その時は何を言っているのかわからなかったけれど。僕が今大切に考えているのは、まずは人を育てること。そして次にお金。お金をちゃんと回せるようにするということ。結局自分のところで流行をクリエイトできる力をもたなかったら、そういった人間が集まらなかったら、全然仕事としては成り立たない。そのために人を育てる。それはまた、自分を楽しませるとうことに繋がっていく。僕自身が、自分の家族、社員、スタッフ、友人という、自分に一番近い人を幸せにし、楽しませることができないと、お客様を幸せにできない。その積み重ね、そして連鎖、循環がうまくいっているから、ありがたいことに、TAKAMIで結婚する方が増えている」

そんな高見さんが、呼びかける「にっぽんと遊ぼう」。すでに14回が終わりました。

高見 「ある程度、来年の演出も決まっています。企業と同じでね、これは僕は続けていこうと思う。やめなアカン理由はどこにもないし、続けていかないと。これこそやらされているのではなく自由勝手にしている(笑)。もちろん、自分にプレッシャーをかけることも大切だし、だからこそ続けていこうと思う。もちろん、京都から発信するものの奥深さを知ってもらう為には、つくっている我々が奥深くなかったらだめなわけで…。『しつらい』『もてなし』『ふるまい』…、自分の為に一生懸命やってくれる人達に対する最低限の礼を自分ができているか? この当たり前の事が京都から発信できなければアカン。だからこそ『遊ぼう』と呼びかける。今ではやらずにはいられませんという気持ち、じっとしていられない(笑)。また、続けるということにおいて僕は、先達が京都で我々に残してくれたものに対して、何を伝えていかなければいけないか、何をしていかなければいけないか、そして何を残していかなければならないかを考えていくという使命感がある」

そんな「にっぽんと遊ぼう」。場所の面白さ、素晴らしさ、楽しむ姿勢やゲストの顔…以上にTAKAMIのスタッフの方々の笑顔や向き合っている気持ちが伝わる催しというか、宴だなぁ…と、毎回思います。

高見 「来ていただいた方が、一言『高見さんありがとう』と。これが自分だけでなくスタッフが受けたら『やってよかった』と言うだろう。しかし、『やらされてる』と思ったり、『社長の道楽違うか』と言ってるようではどこまでいってもアカン。でもこの『にっぽんと遊ぼう』は、TAKAMIが、ではなく本当は京都のあらゆる人が立ち上がってやるべきイベントなんじゃないかな。その為に自分はこれが出来るとか、たとえばお金を出すことが出来るとか、情報を出すことが出来るとか、私はこれをつくることが出来るとか、私はこれを持ってくることが出来る、力仕事が出来る、それぞれの人間が出来ることをパっと出来るようなことも考えていかないとアカンやろうなと思う。そしてこれからは次の時代を予見する若い世代がもっと自由に参加出来るようにしないと、と思っている。『ええ物食べたら美味しかった』ではなく、どう美味しかったのか、を伝えていく。そして感動したものを素直に伝えられる人にも来てもらうように来年は、ちょっと頭をひねっています」