clubfameの歴史

ルポルタージュな’80s

80

 初めて僕が「Club Fame」ってものを知ったのは、確か’88年か、’89年頃だったと思う。地下鉄の車内吊り広告に「Don’t Worry Be Happy」と赤く書かれたキャッチコピーを見たときだ。
 それより5年も前に本誌は創刊している。初代編集長バッキー井上さん(今号にもちょこちょこと名前が出てくるところが、この人の凄いところ)が付けた創刊時の題号は「A CITY FOCUS」といった。マハラジャ祇園にやってきた近田春夫・藤原ヒロシ・高木完とイベント(?)の風景をライブ撮りしたり[1]、’84年と言えば好景気で各百貨店・ファッションビルではDCブランドが隆盛、セールに群がり、ビルを一周する長蛇の列を載せたり[2]、街の有名人の告別式をリポートしていたり[3]。B5版で、写真はモノクロ。情報誌という感じではない。そもそも「情報誌と思っていなかった」のが当時で、「何を載っけていたのだ?」というと、「ルポルタージュ」とか「コラム」ばかりである。客観的であろうとする現在の情報誌の姿勢(と手法)からみても、やっぱりちょっと違う。ちなみに現在の本誌では「Catch the entertainment」が唯一コラムのコーナーだ。
 「街に思うことがあれば、好きなこと書けや!」な姿勢はジャーナリズムに近く、題号を「Club Fame」と改めてからもその気風は続いていて、「潘裕司がやっていた木屋町の店に、坂本龍一がやってきたときの写真」と、昨年12月号の対談で言っていたのがこの号に載っていて、それが’89年2月号「それぞれの記念写真」[4]だ。

雑誌 京都 ClubFame
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