KYOTO CLUB MUSIC SCENE 5

’90s コンテナからガーデン、
メトロへと続く道。
そして田中知之の登場。

 [コンテナ]は時代の気分を先取りしていたという意味において、[モダーン]と同じく短命で終わる(とはいえ、ユナイテッド・フューチャー・オーガナイゼーションも[コンテナ]でプレイしている)。まさにレジェンドを用意されたかのごとく…。その意志を引き継ぎながらも、ジャズで踊るだけでなく、レイブ的な文脈もひっくるめて大きくシーンに躍り出たのが[ガーデン※18]である。京都においてクラブというカルチャーがカルチャーとして意味を持つようになったそんな装置として、[ガーデン]は大きな存在であった。筆者の見解では、その意志は、チルアウトルームの存在やストレートでパワフルなサウンドの志向など、[ガーデン]が提示したものは、現在[ラブトライブ]に引き継がれていると考えている。そして[クラブ・メトロ]が登場する。[メトロ]はレゲエ・カルチャーを京都に流布した、ニック山本氏が手がけたハコであるということを前もって話しておきたいと思う。そしてニック氏が手がけた[ラブ・ア・ダブ]は誰もが知らない、ジャマイカのダブ・ソニックを’80年代半ばにして京都に現前させたハコであるということである。レゲエ・サンスプラッシュ的な巨大なコンサートではなく、しっかりとしたサウンドシステムの中で音の洪水を感じ、ゆっくりと身体を動かすこと。それは、確実にロンドンのダブ・シーンとも連動し、マッシヴ・アタックやソウルトゥーソウルなどとリンクしていくこととなる。そんなニック山本氏が手がけたクラブは、林氏という類い希なセンスを持ったブッカーの才能とオーバーラップし、2008年現在、時代の気分を表す音をどん欲に表現する「場」として、クラブというカテゴリーをも越える音を軸にした世界中のカウンターカルチャーの表現の場となったといって過言ではないだろう。

 そんな[メトロ]最大のケミストリー、それが[サウンド・イン・ポッシブル]だと筆者は考える。GROOVISIONの伊藤弘、ロマンザの松山禎弘、映画評論家のミルクマン斉藤、クラブフェイム編集者で、今は音楽評論家の早川加奈子、筆者、そしてFantastic Plastic Machine(当時月刊SAVVY編集者)田中知之が、サウンドトラックからの選曲で一夜のイベントをしようとスタートさせたのがこのイベントというか、ユニットである。早川を除く野郎は時に集まって未だに優男のふりをするオヤジ軍団として皿回しをすることもたまに、である。

が、選曲家にして編集者であった田中は、いまや世界のセレブを相手にパーティをゴキゲンに仕上げ、モデルのキャットウォークを時に軽やかに、時に荘厳に操るDJとしてトップランナーであることは言わずもがなである。また、そんな彼が祇園祭に合わせて[ワールド]の周年を欠かさないことや、FPM10(現在のKYOTO MUSIC FES)として京都でイベントを行っていることは誰もが知ってのとおりである。そんな彼であるが、KYOTO MUSIC FESとなったFPM10の翌年の[メトロ]でのステージが、[サウンド・イン・ポッシブル]での登場であったことを記憶している人も多いだろう。伊藤の映像、松山の渋いジャズなナンバーに田中が生音のレコードで返答する。まさに10数年前の[メトロ]が再現されたような瞬間であった。

 そんな[メトロ]は、沖野修也が東京へ拠点を移した後、弟である好洋を看板に[Cool To Kool]なるイベントを十数年継続して行っている。