KYOTO CLUB MUSIC SCENE 6
- 1:PROLOGUE
京都という現場 - 2:EARLY ’80s[Music]
僕らの時代のそのちょっと前。 - 3:EARLY ’80s[HAKO]
ハコもまたユニークだった80’S - 4:Late ’80s
セカンド・サマー・オブ・ラブ - 5:’90s
メトロへと続く道。 - 6:EPILOGUE
大沢伸一、沖野修也、田中知之
EPILOGUE
大沢伸一、沖野修也、田中知之、
という才能とともに。
この原稿を皆さんが読んでいる時点では、今年の「KYOTO MUSIC FES 2008」はすでに終わっている。が、しかし京都の街場の音は常に街場でしか感じられない感性と、世界中の音者達の感性が同時に立ち上がっていく、そんなシンクロニシティというかケミストリーが起こっている(と信じながら筆者は生きている)。大沢伸一、沖野修也、田中知之が京都から現れ、時に京都に現れて何やらにぎやかしいことをやってくれることは、楽しくて仕方がない。という才能とともに。
歴史という舞台装置があるにせよ、連綿と続く京都のカウンターカルチャーへのコミットメントは、オウム以降の、行動を起こしても何も変わらないのなら、いっそのこと引きこもった方が正しいのではないか? という自己規定を真っ向から否定するモノであるし、街をステップ・アウトすることの面白さを人間というフィルターを通して巨大なPAから流れてくる理不尽な音楽によって人を酔わせる。2010年代は、大沢伸一、沖野修也、田中知之とともにあるのか、またその先にユニークな稀人が登場するのか、京都という街は、ワクワクしながら考えられる、本当に幸せな街だと思う。
上から大沢伸一、沖野兄弟、田中知之