そのまんまがエコ京都

炭酸ガス云々なんて考えて生きなくても、
きっと大丈夫。
京都で普通に京都の人らしく生きること。
それ以上のエコはないような気がする。

第18回 2009年5月

 エコ、そうエコなんだけれど、考えれば考えるほど京都暮らしってエコじゃありませんか…。ねぇ。
 だからこそ、この京都議定書ってやつは、当たり前のことを当たり前に過ごしてきていることを、まるでトンチのように京都人に突きつけている気がするのは僕だけだろうか? 周りにいるうるさい人間達は、エコエコなんて言っていないし、炭酸ガス排出(と、僕は飲み屋で言っている)なんて、考えて抑制するものでも何でもない。だって、小学生が屁理屈こねているみたいなもんさ…そう「息できへんやん、そんなん(笑)」。

 「じゃぁ、おまえの言う当たり前ってどういうことやねん」ということになるんだが、普通に自分の親やじいさん、ばぁさんがやっていたことをするだけのことである。

 朝起きたら、新聞を取りに行く。新聞に目を通す。京都+もう1紙というのがスタンダードで、それが朝毎読産か、日経かスポーツ新聞か、赤旗か聖教か統一日報かで、その家のらしさがわかるというものだ。その新聞が遊び道具になったり、野菜を保存する包み紙になったり、掃除のときの埃とりになったりする。もちろん油ものを拭き取るのにも使われる。それでも余った新聞は、ちり紙交換に出すと10円玉に化けたりする。その10円はお小遣いなわけで、子供はしっかりと古新聞を管理するのである。母親に出されたときにはちり紙になってしまう。
 そんな新聞を取りに表に出たときに気がつくのが門掃きだ。近所のオバハンの誰かが必ずやっている。掃除をすることよりもきれいにしておくことによる気分の良さをそこで経験した人間は、いつでもどこでもきれいにしておくことに億劫ならない。それのどこがエコかって? 身の回りをキチンとしておくことは、ものを無駄にしない。無駄な買い物や無駄な消費をしない。これは環境のエコだけでなく、経済のエコ(ノミー)にも役立つものだ。決してケチではない。要るものや、足りているものが分かった生活をする、それだけのことだ。
 こんなことを書いていると、紙幅もへったくれもなくなってしまうが、酒だってそうだ。酒がエコなのではない。瓶に入って運ばれている、そんな酒をキチンと飲むことだ。祖父も、親父も母親も、紙パックやアルミ缶の酒を飲まないし、買ってきたのを見たこともない。そう、酒造メーカーは缶や紙パックの方が瓶よりも保存がきくし衛生的だという。しかし、酒に限らずキチンと瓶詰めされたものを賞味期限内にちゃんといただくほうが、どういうわけか美味しいし、リサイクル&リデュースが実感できる。横着な食べ方飲み方をしなくなるし、不思議なことに茶碗や箸だってきちんと使うようになる。

 なんかじじくさいやつだと思われるかもしれないが、今まで書いたことを実践しているような店が、今までもこれからも京都における良い店の条件のような気がするし、京都の店や、普通に暮らしている人こそがエコなんだということだけは分かってほしい。敷居の高い低いではない、玄関がきれいで、キチンとした酒と料理を出して、器や箸にこだわって、新聞紙とは言わないがリサイクル&リデュースを食材の保存やサービスの一環として当たり前のようにしている、まさに足を知る店こそ、京都の町衆から愛され、また支えてきたのだ。

 モノだってそうだ。大型ホームセンターに行かなくても、料理屋の隣で棕櫚箒(シュロほうき)が買えたり、百貨店に行かなくても気の利いた茶碗や風呂敷が買えることがエコだということだ。

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公開: | カテゴリー: 街場の演算   パーマリンク

そのまんまがエコ京都 への2件のコメント

  1. 末次 正芳 より:

    書いたある通りどすネ(^_-)

  2. 猪飼 直之 より:

    しみじみ共感出来ます。

街場の演算

肩の力を抜いて、自由に語ろう…、京の街と付き合うということを。 執筆、保伊戸 宵 (ほいと よい、袖岡保之)。雑誌ミーツ・リージョナル創刊に関わる。96年から10年間、副編集長。'06年、京阪神エルマガジン社を離れ、フリーに。17年間離れていた京都へ戻って京都CF!を中心に店ネタから人、音、街コラムを執筆。当コラム「街場の演算」は07年10月号から09年09月号まで22回にわたり掲載。08年より京都電通でコピーディレクター、10年 滋賀銀行CMで環境省 環境コミュニケーション大賞受賞。


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